神様の夢に虜になっているカン・ムンス執事
彼は教会に出席する教員のひとりである事に間違いないが、信徒ではないと自白した。自身に与えられている状況においてイエス様は常に後回しであった。ただ自分の成功をもって神様に栄光を捧げれば大丈夫だと思っていた。しかしその人生に転機が訪れた。主と無関係であった生活から神様に栄光を捧げる信仰の生活を知ることになったのである。最近では全世界が主の御前に出でて礼拝する‘その日’を夢見る人々の為に集まりをもっている世界連合祈祷会に参加するカン・ムンス執事。宣教的な存在として主にその心を捧げている彼の人生の旅程を聞いてみた。
-どのようにイエス様と出会ったのですか?
「私はプサン(釜山)で生まれ育ちました。私は14歳上の兄と、4歳下の幼い妹、そして両親と5人家族で平凡な生活を送りました。家族の中で母親がはじめに教会へ通いました。父は以前事業を展開しておりましたが、使役者から傷を受け教会とは疎遠になりました。母について教会に通っていた妹の導きにより高校2年の時初めて教会に行きました。おそらく総動員伝道主日だったと思います。それから毎週教会に通ったのですが、ある宣教団体が主催する信仰訓練を通して、自分が罪人である事を知り、自分の為に死なれたイエス様を救い主として信じられるようになり受け入れをしました。」
-その後変化がありましたか?
「イエス様を受け入れたことは事実でした。しかしあくまでも知識的な同意だったということが後に判明しました。恥ずかしながら自分の生活には何の変化もありませんでした。高校3年生という入試の門前にイエス様はいつも後回しでした。例にあげますと大学進学の頃ですが、家庭が非常に苦しく大変心が挫けていた時、神学校入学を牧師から勧められましたが、最終的には一般大学を選択しました。それでも主は私に背を向けはなさいませんでした。たとえ私が一般大学に進学したとしても牧師先生は、私の為に教会の中で奨学部を作り全額奨学金を支援して下さいました。そのおかげで学校に通う事が出来ました。」
教会が提供した奨学金にて勉強
-学費は解決しましたが、生活費は稼がないといけませんでしたね。
「苦しい時間を過ごしました。三食をラーメンで済ませる事がやっとで、毎週末にするハードなアルバイトによって身も心をズタズタになりました。私が大学に入学した86年度は大学生達が独裁政権の打倒を訴える風潮でした。その頃の自分が置かれた立場と状況によって自己憐憫に落ちていた私は、この時勢の中まるで突破口でもみつけたようでありました。その時から学生デモに命を懸け戦いました。そしてようやく通っていた教会も完全に背を向ける事となりました。それ以降、軍部政権は退き文民政権が誕生しましたが、私に残ったのは空しさだけでした。学費がなくて大学2年目の登録が出来ず私はすぐさま軍隊に行くことになりました。しかしそこで無性に教会に行きたくなったのでした。」
-主が恵みの機会を与えて下さったのですね。
「はい。その通りです。私は当時陸軍としてカテゥーサ(KATUSA、住韓美軍部隊に配属された韓国軍兵力)でもないのにグンサン(群山)にある美軍飛行場にて勤務する事になりました。そこにある教会に自然と通うようになりました。そこである姉妹と出会い自分の信仰が少しずつ回復へと向かいました。それから除隊とともに結婚し、ソウルにて新婚生活を送る事になりました。」
-主が頼りになる同役者を与えて下さいましたね。
「ええ。その通りです。当時大学生であった自分は家庭に対する責任を果たす能力がありませんでした。悩む中、そろばん資格を持っていた自分の妹と妻にてそろばん塾を始める事になりました。おかげで生活にも少しずつ余裕が出来、教会にも熱心に通いました。それからある日信仰生活に対してすごく疑いが生じ始めました。賜物中心であるその教会は、私が過去に出席していた教会の雰囲気とだいぶ違いました。そして自分の救いに対する確信さえ揺れ始め、またもや教会に行かなくなってしまいました。」
-信仰が根こそぎ揺れ始めた時間でありましたね。
「人生行路に悩みながら、大学を卒業しソウルでの生活を整理しプサン(釜山)へ下りました。プサン(釜山)には私がお世話になった教会があるのでその恩を返さなければという心の負担がありました。しかし就職して息子2人を育てるという家長の立場はたやすくはありませんでした。また、もう少し勉強をやりたいという欲が出てきたので大学院に通い始めました。ある経済研究所へと紹介を受け、ソウルにてやるべき仕事の負担が増えましたので、5年間のプサン(釜山)の生活を整理し、またソウルに行くことになりました。」
揺れる救いの確信
-どのような仕事をされましたか?
「当時の我が国は、国際通貨基金(IMF)事態により多くの問題を抱えた時期でした。我が国の貧弱な会計制度を立て直さなければならないという憂慮の声が高まったのですが、ちょうど私が配属していた研究所にてそのプロジェクトを始める事になりました。先進国の会計制度等を研究し、我が国に適合する会計システムを構築する仕事であります。98年から2005年までシステムを安全化する仕事を熱心に致しました。お金も沢山稼ぎました。俗にいう世の中の人々が言っている成功の軌道に乗ったのであります。」
-なんだかその後が不安ですね。
「そうです。罪なる人間の欲望に果てはないということを確認しました。物質や名誉が満たされながら、空しくなる自分の心をお酒や情欲にて埋めました。次第に自分でも許すことが出来ない状況に至ってしまいました。主がこれまでに自分を導いて下さった事は確実に間違いないのでありますが、それでも主に出て行きたくない心のゆえに罪悪感が増しました。仕事も家庭も全て放り出したいという考えでいっぱいでした。結局、家庭に離婚危機が訪れました。」
-どのようにして危機を克服されたのですか?
「私が教会に行かなくなってやがて10年になる頃です。妹と長老である義理の弟が私を訪れて教会に行こうと言いました。我が家の状況は険悪な雰囲気であったのですが、彼らにとっては常に通っている教会であるので、何気に誘ったのでありました。私達の危機を知っておられる主が措置して下さったのですね。断ることなく礼拝堂に出席し始めました。すると嘘のように今まであった全ての混乱した状況がひとつずつ整理され始めたのです。そして私が当然いるべき場所にやっと戻れた気がしました。その時から本格的に信仰生活が始まりました。」
-やっと本題に入りましたね。
「もう一度通い始めた教会の牧師先生を通して、以前聞く事のなかった宣教される神様について聞く事になりました。私はイエスキリストが罪なる私の為に死なれ救って下さった出来事だけが福音だと思っていました。しかし創造の前からすでに福音が始まっていたという事実は私にとってとても衝撃でした。それで海外宣教に関心を持ち熱心を尽くしました。それにも関わらず、私の渇きは解消されませんでした。私は教会の中では認められる信徒でしたが、教会の外では依然福音とは無関係な生活を送っていたのです。」
-主が渇きの時間を与えられたのですね。
「とても落胆しました。‘私には無理なのだ’そのような考えが起こっていました。そしてある日20歳になる末の息子が5泊6日で行われている信仰の訓練を受けて来たのですが、それ以降、総体的な福音の前に立ったと言い、母親とよく言い合いになっている姿を目撃しました。そして何ヶ月か後に妻が同じ訓練を受けました。でも積極的には進めては来ませんでした。しかし少しずつ妻の姿が変わりました。本当に気になりました。それでその訓練に関心を持ち申し込みました。願書を書き面接を受けたのですがどうも雲行きがおかしい感じでした。ただ私の心さえ全心であったらよかったのでありますが、行けなくなってしまいました。落ちたのです。安堵感と同時にプライドが傷つきました。そして高慢な自分を見つめる時間を持つ事になりました。2度目の志願では謙遜な態度で臨み、合格して2012年9月総体的な十字架の福音の前に立ちました。」
末の息子と妻の変化に挑戦
-総体的福音の前に立った時いかがでしたか・
「初めから最後まで衝撃でした。福音のままに生きる人生について誰一人からも挑戦を受けたことが無かった事実も、私の存在自体が罪人であり、神様でなければいかなるものも満足する事の出来ない存在であるという事実を悟った事も衝撃でした。このままでは地獄だ。ですからどんな方法を使ってもこの生活に終止符をつけなければならないと決心しました。それから宣教訓練を受け、天国の福音が全世界に伝えられ主が来られるという事実が信じられるようになりました。それでもまだひとつ問題が残っていました。主に自分の心を全て捧げていると思っていましたが、変わらず自分の思い通りにやりたいと思っている1%があったのでした。まさにそれは使役者としての道でありました。」
-どのようにして主に捧げてなかった1%に気づいたのですか・
「2014年青年たちのリバイバルの為に祈る集まりに参加しました。その時宣布された御言葉が神様に心を決め出て行くダニエルの生きざまについての内容でした。主はそのダニエルの告白が自分の告白になるようにして下さいました。その時主は、私を用いたいと心に語って下さいました。神様の召しを受けたのです。そして妻と共にある宣教団体にて宣教師の訓練を6ヶ月間それぞれが順番に受けました。」
私達の時代に‘その日’の栄光の到来を夢見て
-そこでどのような恵みに授かりましたか?
「神の御国のリバイバルと、宣教完成、いつも叫んでいたスローガンでしたが、自分が生きている内に‘その日’が来るとは思ってもいませんでした。そこで叫んでいた‘私達の時代にその日の栄光を!’という挑戦に初めは同意できませんでした。だから祈りました。主は祈りの中で‘新しい契約はイエスキリストにより完全に成就された’と語って下さいました。
私一人だけを見たとしても、イエスと共に死に更に生きた人生を成就されていますね。しかし私は自分一人救われたことに満足しているのでした。‘神様の救いは救われるべき人だけがだいたい救われるのではなく、全ての世界’だという主の御言葉の前に自分の基準がガラガラと崩れ落ちました。‘ムンス、私は今、おまえと会いたいのだ。’とおっしゃいました。福音を悟ったと思っていましたが、全世界の救いには完全に無感覚であった良心を起こして下さり悔い改めさせて下さいました。」
-訓練を終え今、どのように過ごしていますか?
「最後の魂が戻って来るときまで、嘆き悲しむ心で祈りの座を守らなければと決断するようになりました。自分の人生が聖なる‘その日’とは距離がありすぎて苦しいですが、その状況を通してかえってキリストの苦難を経験しています。物理的な肉体の苦難も苦難ではありますが、暗闇の中でさ迷っている魂たちをみてもなお自分を追及している中でキリストの苦難を知りました。
だからこそ主が早く来られることで苦難は終わると更に叫びながら生きています。最近では私のように‘その日’を希望している人々と共に毎週1泊2日集まり、交わりながら御言葉にて祈る時間をもっています。とても幸せです。」
彼はこの世界連合祈りの訓練が終わると主が召して下さる場所へ行くと語った。主が来られる時まで福音と祈りによって、召された場所、その地の果てにて主が来られる道を前倒しする心で従順する、彼のこれからの日々を主が親しく導かれることを祈ります。