大将であるイエス・キリストに私たちの両目を固定しよう。

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人間の魂の中にいる神様の命

完全な福音は私たちに本当の満足と幸福を与えるという真理を知っている。しかし厳しい現実の前では信仰で乗り越えない場面もある。

そうなると主のご召しは精神統一のように感じられてはたして幸せなのかと疑問が聞こえてくる。そんな挑戦をうけている私に‘人間の魂の中にいる主の命’という長いタイトルのこの本は、私の魂にさけぶ主の手紙のように感じられる。

この本はスコットランドの福音主義者であるへんリ・スクゴル(1650‐1678)がお友たちを信仰へ導くために書いて手紙を土台にした。28歳の若い年に天に召されたスクゴルは短い人生の中で福音だけで、その福音を喜ぶ幸せを現した証人であった。

この本はまず私たちが持っているキリスト教的価値と信仰を考えて、‘命’という単語に注目した。そしてキリスト教を人間の魂と神様の命の結合という観点からみて、神様の‘紳的命’の重要性を説明した。

第一に、命の持続性である。勿論霊的沈滞を経験していたり、試験に直面して奮闘の中にいたり、いつも従う準備体制を持っていない時もある。しかしその時も主の命は消されていないし、この世を愛しているみ心は決して束縛されていないのである。

第二に、その命は内的能力、つまり心の中にいる主の能力である。本当のクリスチャンは外部によって強要されない。クリスチャンは強いられて祈るのではない。神様の怒りを避けるために聖書を読むのではない。良心にそるために礼拝をささげるのでもない。このすべての行為は、新しい命が神様との交わりを通して喜びを発見するためになされている。

第三に、紳的命は神様の人格を反映している。本当のキリスト教は人間の魂の中に映される神様の栄光である。

このような紳的命の実は、神様への愛、仲間への愛、貞潔、謙遜に現れる。この紳的命は言葉よりイエス・キリストによって強力な行動を通して正確に証明された。

キリスト教の命の本当の意味を知ったならば、その優越性と有益を絶えず熟考しようとスクゴルは助言した。彼の助言で、それは私が忘れていた部分だと気付いた。自分に対して絶望して福音の生き方を願っていた人生は熾烈だったが、クリスチャンの人生がどんなに美しくて、偉大であるのかを知った者としての喜びは持っていなかった。

人間と神様の命の結合

本当の喜びは私たちが何を愛するのかで現れる。愛する人はその愛の対象と同じになるまで霊的に成長していく。愛は私たちの持ち物の中で一番偉大なものである。それなので無価値のものを愛することは愚かで間違ったことである。愛は自分のすべてを与えることである。

自分自身を思って絶望の中に諦めている人、苦悩と悲痛で自分が本当のクリスチャンになれないと思っている人、喪失感と落胆の状態で恐れている人たちに再び私たちを救ってくださる大将であるキリストに両目を固定することを強調している。そして彼は御言葉とお祈りが私たちを神様へどのように導くのかを話しして、お友たちに渡す祈祷文で手紙を終わられている。

 ‘最高に恵み豊かで慈愛の神様!イエス・キリストの命を通して私たちがどんなに幸せなのか、そしてその幸せに至る方法を私たちに知られてくださって感謝いたします。私たちの魂の中でその幸福を強烈に望めるようにしてください。’[GNPNEWS]

ハン・ボヒョン宣教師

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