“一番美しい同行”

Date

2013-12-09

父よ、あなたが私に賜った人々が、私のいるところに一緒にいるようにしてください。天地が造られる前から私を愛してくださって、私に賜った栄光を、彼らに見させてください。(ヨハネの福音書17:24)

暗い夜の道を歩く時、すぐついていける者はいるのか

遠い道に出かける時、妻子を任せる友たちを持っているのか。

 ‘一人ぼっち’の恐れと、‘共にする’の幸せを聖書はこのように表現する。

ふたりはひとりになさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。すなわち彼らが倒れる時には、その一人がその友を助け起こす。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起こす者のない者はわざわいである。また二人が一緒に寝れば暖かである。一人だけで、どうして暖かに成り得ようか。人がもし、そのひとりを攻めうったなら、ふたりで、それに当たるであろう。三つよりの網はたやすくは切れない。(伝道の書4:9-12)

友はいずれの時にも愛する、兄弟は悩みの時のために生れる。(箴言17:17)

しかし時には間違った縁で結ばれて放れなくて苦しい同行があり、お互いに助け合えない無能で切なさを増す時もある。何日かまえに遠くにいる他国で訓練中である娘が緊急の状況にあったことはある。急がないといけないことだった。緊急な現場に到着して状況を把握して、最終決断をしないといけなかった。

国に帰って治療する事に結論出したが、問題は旅だった。特別な処置がないまま、20時間あまりの飛行を含めた長距離移動で、何が起こるか分からなかった。大部分反対したが、神様だけを信頼して発つことにした。その日の朝、恐れが寄せてくる時間、お祈りの途中に記録した文章である。

 ‘パパの手をつないで出る旅行、危険だけど幸せな旅行。神様と共に行く旅行、安全で美しい旅行’

っても、ただ共にいるだけであって、何もやってあげられない切なくて、足りなくて、危険な旅路だった。切迫な瞬間に神様を呼ぶ瞬間、一番安全で美しい同行があることに気付いた。

これはインマヌエルの神様との同行だった。その神様と共にいれば、暗い道も光で、険しい道も安全で、大敵の道でも権能で、混沌の道では正しい道で、不安な道も平安な恵みで充満な道になる。その美しくて驚く神様が創世前から夢見た秘密がある。時がついにガルボリ丘の十字架で成した完成なる夢である。

父よ、それは、あなたが私のうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、かれらをも私たちのうちにおられるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。私が、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、私たちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。私が彼らにおり、あなたが私にいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたが私をつかわし、私を愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。父よ、あなたが私に賜った人々が、私のいる所に一緒にいるようにしてください。天地が造られる前から私を愛してくださって、私に賜った栄光を、彼らに見させてください。(ヨハネの福音書 17:21-24)

すなわちインマヌエル(神様が私たちと共にいらっしゃる)の夢である。地から天よりもっと離れた創造主の神様と被造物のあいだ、地獄と天国よりもっと遠くて遠い清い大主と汚い罪人の間。初愛アダムの失敗した愛の歌、‘これは私の骨中の骨であり、肉中の肉である’をだれも別れさせない誰も切れない神様の永遠の愛が、イェスキリストの十字架によって、私たちを神様と死に連合させて復活で一つに成させた新婦である教会に成した栄光!

かしらであるキリストによって、彼の栄光 私の栄光、彼の清さ 私の清さ、彼の能力 私の能力、彼の充満 私の充満、神様の中で私が 私の中で神様が!世の終わりの日まで貴方たちといつも共にいらっしゃる、アーメン。

一番完全で美しい同行、インマヌエルの恵みが聖霊様によって、私の無能さも、未来の恐れも、過去の恥も、敵の脅威も、苦労の中でも死の谷間でも十分に勝利させてくださり、私の駆けていく道が終わるまで私にその十字架を抱くようにしてくださり、恐れなしでお声かけの地を歩むようにしてくださり、栄光のその日を迎えるようにしてくださる。。

インマヌエルの栄光の恵みが永遠に共にいます。

≪巡回宣教団≫
[その日が来るまで]から転載

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