“今は恵みをくださいと祈っています。”

Date

2013-12-09

‘平凡’の世界から離れて恵みをの海に出たソ・ガンホ執事

私たちは時には非凡な存在になりたいという野望に落ちいたりもするが、平凡な存在に残りたいという安逸感が与える誘惑にもっと親しい時が多い。

世の価値観に合わせて生きていた‘へ平凡な’私たちの人生にイェス様が訪ねてきてくださると、その時から私たちの人生はこれ以上‘平凡に’はならないのだ。教会のかしらであるイェス様はとても特別な方なので、彼の体である私たちは‘非凡’そのものである。

したがってこんな特別な人生を私たち自らの力では維持できない。ただ神様の恵みが必要である。最近福音の前に立って、この恵みの航海に出たソ・ガンホ執事にあって話を聞いた。

-簡単に自己紹介をお願いします。

‘ソウル生れです。静かな性格の親の下で、特別な事件なしの平凡な育ちでした。夢も平凡に生きることでした。いま情報技術(IT)関連業界で働いて、妻と二人の子供と共に住んでいます。’

-信仰生活はどうでしたか。

‘子供の時には日曜日になると、お母さんについて寺に多く行きました。寺のご飯をたべて、かたすみで寝たことも多くあります。教会は小学校1年の時、町の友たちについて通い始めました。おやつを食べるためにいくくらいでした。十字架の福音に対して始めて反応したのは中学校2年の冬のキャンプの時でした。その時、私が罪人であることと、イェス様が私の代わりに死んだ事実を認識しました。そしてただそこまでだったと思います。’

-そうすると本格的に人生に神様が介入した時期はいつですか。

‘結婚以後通っていた教会でいろんな訓練を受けて、信仰生活にすこしずつ変化があったようです。’クリスチャンとして私は何をすべきなのか‘と悩みながら、宣教にすこしずつ関心を持つようになり、定年後に宣教地で過ごそうという心を持つようになりました。

しかし訓練をうけて信仰生活に熱心を持てば持つほど、深く渇きが訪れました。その中、2011年中旬に妻が先に十字架の福音の前で正面に‘ぶつかる’事件が本格的な変化の始発点でした。‘

クリスチャンとして私は何をすべきなのか悩む

-どんな変化がありましたか。

‘妻がまず世の物から完全に振り返ると宣言をして、運営していた美術塾を片付けました。私も加えて職場を辞めました。そして財産を整理し始めました。私たちは金持ちではなかったですが、大きなお家であらゆる物を持っていました。しかし家具は食卓一つだけ残して全部捨てて、家電製品も整理しました。数千冊もあった子供たちの本を大幅整理して、宝石も全部整理しました。そして居間もない部屋二つある住宅に引っ越ししました。’

-こんな変化の過程中で葛藤はなかったですか。

‘実はこの変化は妻が主導して、私がついて行く形でした。妻と私が十字架の福音の前に立つ時差がある間に葛藤が多くありました。妻の行動が相当破格的で、’やりすぎだ‘と思いました。それでも妻の変化がとても実在だったので、多くの挑戦をうけたのも事実でした。また感謝する一つは、この期間中子供たちが一回も不平を言ってなかったことでした。’

十字架の福音をうけて破格的な変化

-執事さんに十字架の福音が実在になる事件がありましたか。

‘罪に対して深く気付く事件がありました。神様が妻に私の内面の罪の実体を告白する時間を導いてくださいました。職場生活をしながら犯した罪と内面の罪悪の考えを告白しました。私は心の中でだれもが犯す罪の水準以上の大きな罪は犯してなかったから、この程度ならよい人だと思っていました。しかし私の妻は行為で実を結ぶ罪より、考えで犯す罪をもっと苦しんでいました。その事実が私には衝撃でした。その時、’心で淫欲をいだくと姦淫したこと‘といったイェス様のみ言葉が実在になりました。罪の深刻性と実態に気付く時間でした、今も淫欲がうかぶ時があります。以前には軽く思いましたが、いまはとても恐れます。それでもっと罪から遠ざかるよう決断をします’

罪の深刻性と実態に気付く時間

-決断と変化が始まった信仰の人生にいろんな谷があったと思いますが。。.

‘妻と私が職場を辞めてから、収入がないままに住み始めました。1年半を宣教学校、祈祷学校などで訓練を受けながら過ごす間、持っていた財政を全部使いました。そしてその後にはマイナス通帳を使いました。すぐそれもなくなりました。’

-それでどのようになりましたか。

‘恥ずかしいが、私には’エリヤのからす‘の信仰がなかったです。結局再び職場を探しました。しかし何でもいいような職場は探しませんでした。それで面接を見る時、宣教師になろうとしていて、訓練をうけていますがいますぐではないので、宣教師として出るまで熱心に働きますと言いました。誰が選ぶでしょうか。しかし今この会社が奇跡のように私を選んでくれました。恵みでした。’

-いまの職場生活と以前の職場生活にははっきり差があると思いますが。。

‘以前の職場は私の成功のためでした。しかし今は全然違います。神様がいつでもおっしゃると宣教地へ発つ準備になっています。そして周囲の職場の同僚との関係も以前とはとても違います。以前はみんな良い関係でしたが、いまは一人も心を深く分け合えるひとがいないです。いまこの職場にはクリスチャンが一人もいないです。’

神様がおっしゃると宣教地へと発つ準備

-職場が新しい信仰の訓練場になったようですね。

‘本当にそうです。ある意味で再び職場を見つけたのは、私の信仰がないことを現される事件だったかもしれませんが、一方では神様は私によい信仰の訓練所としてここを導いてくださったようです。まず私の中で、職場に通いながら、こんな点がよかったのに。。という考えがあったようです。しかし再び職場に入ってみると、本当にこの世には良いものが一つもないですね。神様がこの世に対しての未練を確実になくしてくださいました。そしてひとりぼっちだとよく思います。しかし一人ぼっちになったとしても、世の価値観とは決して混ぜたくありません。’

-信仰の戦いを戦うのに、特別に強烈な領域がありますか。.

‘振り替えてみるとまず所有に対しての執着があったようです。いまは再び財政に余裕が生じたにもかかわらず、財政を節約することが信仰の態度だと自ら欺いたり、口実を言ったりして、施すのにけちって、神様の前に捧げる部分のけちる私の姿を見つける時にはとてもがっかりします。そして以前にはよく分からなかったが、人たちに認められてよい評判を得ることに対しても敏感に反応する時が多かったです。恥ずかしいです。’

-信仰の戦いで失敗した時にはどのように再び起き上りましたか。

‘以前だったら私がまだ聖化されてなくて、訓練されてなかったからだと思ったでしょう。解決する能力を私の中で見つけようとしました。この部分が福音を喜べない一番の大きな障害物でした。しかしいまは、本当に私はできないと徹底して気付きました。再び起き上る道は、神様の恵みを掴むことです。’

-恵みの中で回答を見つけましたね。

‘はい。いろんな過程を通して恵みを掴むこと、恵みを求める以外には他の道がない事を知りました。それでいまはいつも恵みを求めるお祈りをするようになりました。前には、何かをできるようにしてくださいと祈ったならば、いまは、何かが出来るように恵みをくださいと祈っています。この差が表現しにくいけど、私の人生をすこしずつ変わって行くのを感じます。キリスト教の核心は本当に恵みだと思います。ただ求めるのは恵みしかないです。’

恵みを掴むしか他の道はない

-これからの計画とか祈りの課題がありましたら。。

‘まず3月から私一人で生活をしないといけないです。妻はある宣教団体で行う6カ月過程の合宿訓練に出かけて、2人の子供は今度の学期から寮生活をするキリスト教の学校にいくようになりました。 実は私一人で信仰の歩みを歩まないといけないが、自身がちょっとないです。もし以前に帰るのではないのかと言う恐れがあります。しかし私を生かしてくださる神様の恵みを掴みます。一人で神様を熱く思える人生を期待しています。そして宣教師としての具体的な呼びかけにおいてずっと祈っています。宣教師たちの具体的な従順する歩みに寄せてくる挑戦に向き合える準備が、まだ足りないのが事実です。転ぶ時もあるでしょう。しかし決して振り帰りません。私たちの家庭が幸せな宣教師として従順の歩みを歩めるように祈ってください。’

J.S

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