▶ ’再びお家へ‘の共同著者である息子のクリストファー・ウィアンとその母アンジェラ・ウィアン[/caption]
再びお家へ(1)
アメリカの中国人移民家庭で生まれて歯科大学院に行っていた一人の男が、同性愛と麻薬に落ちいて人生の極端まで味わってから主に出会って回復した。彼の後ろには息子によって自殺という決断を前にして、生きている主に出会った母のお祈りがあった。その話が載ってある’再びお家へ‘(デソン出版社、2017)を要約、紹介する。<編集者>
アンジェラ、絶望の端で一筋の光
シカゴで住んでから24年であった。その日は息子クリストファーがお家に来た日だった。彼は去年秋シカゴで歯科専門大学院に編入して3年生の家庭を終えた状態だった。一年後には夫と共に新しく準備した歯科病院で働く予定だった。家族が一緒に住んで働くことが私の願いだった。
しかしその日の夜クリスは私たち夫婦にカミングアウト(同性愛者が自分の性アイデンティティーを公開的に表すこと)をした。息子がゲイだということで私は茫然とした。夫と私は以前から中がよくなかった。私たちは1964年アメリカに渡ってきて息子二人を儲けた。しかし息子のカミングアウトによって今まで夢見てきた家庭は無駄になった。これ以上生きる希望がなかった。
次の日牧師にあったが、何の慰めも受け入れなかった。彼からいただいた小さな冊子をもって私はすぐさま汽車駅へ向かった。死ぬ前に最後に息子の顔を一度だけもっと見たかった。しかし私はその日汽車の中で主に出会った。コリン・クックが書いた‘同性愛者にも門が開いているだろうか’(1985)という冊子には、神様がすべての人さらに同性愛者でも彼らの行為のためではなくありのままに愛していると書いてあった。冊子を読めば読むほどその言葉が私に話しかけてるように感じられた。
すぐ私は冊子の後ろに乗ってある電話番号の電話をかけて相談をうけて、助けてくれる人に会って教育をうけた。お家に帰らなかったが、夫は私を探していなかった。聖書を読んで礼拝をささげてから6週間ぶりにお家に帰った時に、私は以前とは違う人だった。お祈りと聖書で一日を始めた。何日後夫も教会に出席し始めた。驚くごとに夫も福音を受け入れて、心を開いて私たち夫婦の葛藤に直面するようになった。息子はまだその世界にいたが、私の息子の未来も私たちのように明るくなることを願った。
クリストファー、私はゲイだ。
大学に編入後、ゲイのコミュニティで1年間活動して親に真実を明かす準備ができた。ゲイのコミュニティでは親に自分の性的志向を明かすことが通過儀礼だった。
母は同性愛と家族中一つを選べと言った。でも逆にすっきりした。私は学校に帰ってきて昼には学生で夕方にはゲイクラブの人気あるバーテンダーとして生活した。ゲイのお友達が本当の私の家族であって、ここが本当の自分の世界のように思えた。
何日後母が訪れた。宗教というと嫌がっていた母が聖書を読んで教会からいただいた服を着ていた。母の勧めに負けて同性愛をよく知っている人を会ったり集会に参加したりもした。
彼らは宗教に対して、変化可能性に対しての研究結果について言っていた。私が努力してなかったと思っているのかしら。しかし主に祈っても、いろんな方法で努めても自分を変えることができなかった。
中国人として生まれたように、私はゲイとして生まれた。神様は私をこのように作ったのだ。23歳の誕生日を迎えて私はケビンと住み始めたが、16か月で別れた。私のことを聞いた母は悲しいと言った。12月ころ私は別れの苦しみを忘れるためにクラブで薬物に手を出した。
私は学資金で大量の麻薬を買って、クラブと同性愛者たちのパーティーで麻薬仲介事業を行った。事業は順調だった。私は学校をほったらかして週末になるとロス、マイエミ、サンプランシスコへと飛んだ。
大型ゲイパーティーに行くと、反対側でクリスチャンたちが聖書をもって叫んでいた。’悔い改めよ!同性愛は卑しいことである‘ クリスチャンたちの顔に現れる憎悪感を見て彼らがかわいそうに思えた。私はダンス舞台の真ん中で踊りながら叫んだ。’ここが天国だ!‘<続く> [GNPNEWS]