子供はただ‘自分の名を呼んでくれること’を望んでいた。

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地方で宣教の呼びかけと仲介祈祷の働きをした時のことである。ある日一緒に働いていた人がふっと聞いてきた。‘あなたは三人のお母さんなのでもっと主の御心を知っていると思いますが、そうでしょう?’

その当時は、‘はい、そうですよ。子供たちを育てていろんな状況を通して主の御心がもっとわかるようになったよ’と答えた。しかし心の片っ方では主が私に聞いているようだった。主の御心を知っているようでも、自分の子供さえも愛せない絶望に落ちいたことが多かったからである。

人生を振り返ると子供たちを育てた11年間の結婚生活の間に多くのことを経験した。準備もなく若い時に母になって、どのように子供を育てばいいのかはもちろん母がどんな存在であるのかも自ら考えていかないといけなかった。言葉もしゃべらない子供が泣き続ける時には、具合が悪いのか、何を望んでいるのか、到底わからない瞬間が多かった。有名育児書とインタネットで探して解決するには限界があった。さらに子供たちの体だけ成長するのではなく、考えも心も成長することがもっと大きな負担だった。

長女が10歳になった時だった。ともに住んでいる仲間たちが増えてセンターに訪問する外部の指導者たちも多くなってたくさん働かないといけなかった。休みもなく回る日常にもかかわらず、私は三人の子供たちと散歩して図書館に行って、黙想を分かち合い、子供の宣教訓練にも共に参加した。

しかし長女は、‘私はママが私だけのままであってほしい。散歩も二人で行きたい’ 私はこれが何の意味か考えた。私はいつも子供の名を呼ぶときは主に何かをお願いするときか、怒るとき、または命令するときだった。それ以外には三人を一気に呼んでいた。’みんな来て‘と。いつも理解してくれて私に支えになっていた長女が望んでいたのは単純に自分の名を呼んでくれることだった。

娘はかっこいい信仰の英雄みたいなママをほしがっていたのではなかった。一人しかない自分の名を呼んで目を合わせて特別でない日常のことを話し合って、二人で手をつないで散歩して、好きな絵もかく…。

全能者である神様が私の名を呼んでくださったように、私を呼んでくださった主の愛のように子供を育てること、とても平凡で自然な日常で十分だった。やっと‘良い母になる’という負担から自由になった。

次世代の宣教師を養成する学校に申し込んだ娘がお友達に‘宣教師の子供で生きるのは大変だけど、宣教師として生きるのは幸せだよ’と言ったそうだ。主の子供として育っててくださる主がいらっしゃるので、私は心配なく母として、主の働き者としてともに歩めるのである。 [GNPNEWS]

李ヒョンジ宣教師

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