“伝える瞬間、私の心もその福音に同意するようになった。”

Date

2016年8月18日

福音を聞いて学んで、その福音のために泣いてまた喜んだが、今度伝道の授業があるということは私にはうれしくなかった。本当にやりたくなかった。伝道という文字に体が震えて心臓はドキドキした。福音のためにうれしいが、この福音を伝えるのは怖かった。でも授業から抜けることはできなかった。

決断させられたような気でバスターミナルへ伝道に出かけた。ずっと一学年上の先輩の後ろをついていた。人たちの前でよく福音を伝えて、一対一伝道もうまくやっている先輩たちがうらやましく、私にはやすくなかった。ずっと躊躇していて、やっと中学生の一人に近寄った。福音を伝えた。

‘罪人だった私を生かしてくださったイエス様の十字架があなたを生かしてくださいます。’バスを待っていたので長い時間言えなかったけど、主の愛を伝えていて、私を愛してくださる主の御心がもっと分かった。その次の週私たちは使徒の働き5章のみ言葉をもって祈って伝道にでかけた。

‘行って、この命のみ言葉を民たちに残さず宣布しよう’このみ言葉に従順することを

決断して初めて福音宣布ということを行った。先週とは違って私の中で大胆さがあった。主のみ言葉から出発した大胆さだった。横断歩道の前に立って人たちが集まるのをまっていて、私に生命になった福音を伝えた。

‘皆さんは地獄に行くしかない罪人です。しかし私のような罪人たちのために神様は自分の愛する息子を送ってくださいました。その息子が十字架で死んでくださったので、私たちの罪は許されました。彼を信じると救われます。’この命のみ言葉、真理を叫んだ。単純に声を高くした行動だけではなかった。一語一語が私には実在の福音だった。福音を伝えるその瞬間に私の心霊も熱く福音に同意するようになった。

“皆さんは地獄に行くしか罪人です”

‘そうだ!これが福音だ!罪におぼれて死ぬしかない私をイエス・キリストがいかしてくださったんだ!’この福音で十分だった。これを聞くすべての魂が私と同じくなることを願った。伝える中に、うるさいという人もいたし、よくない視線で見ていた人もいた。しかし気にしなかった。自分が嫌わられるかもしれないから、患者さんにどんな状況かを知らせない医師はよい医師だと思わないだろう。

私は主が送った獅子である。万王の王である権威をもって伝えた。寒い日でも共に情熱をもって伝道した先輩たち、お友達、先生たちの姿を見て、イザヤ書の52章7節を思い出した。‘良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。’

お友達と共に伝えた福音は私たちの福音だった。私たちに本当の喜びを持たせてくれた福音、私たちに平和をくれた福音、私たちを救ってくれた福音を伝えた。私たちが喜ぶこの感激、この喜びがあの魂に留まることを祈った。愛する主が再び来られる日を待っているのか。私にその日が実在であるので、すべての魂を愛する主の御心が実在であるので、もっとこの福音をもって出て行くのである。

私が何かの資格でこの福音を伝えるのではなく、ただ御めぐみとしての福音なので伝えることも恵みである。私がやるのではない。主がなさっているのである。またこれからも成し遂げてくださるだろう。次回には人がもっと多いところへ行くと言われた。

その瞬間私の反応は‘そんな・・’だった。しかし実は主の恵みを期待するようにしてくださった。主のすばらしさを見上げることと、周囲の人たちの目を意識するのではなく、主の目と合わせてくださることを。福音の栄光によってその日の栄光に向けてかけていく。主がなさいました。[GNPNEWS]

ユン・サムエル(18)

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