“交通事故で激しい苦痛の中にいた私が祈りによって生き返りました。”

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昨年12月22日、パク。ジョンイン勧士(大田ヨンラク教会)が乗る車をコンクリートミキサー車が覆い被さった。肋骨10本、鎖骨と首の骨を骨折した。肺に水が溜まり始め、呼吸が困難になり激痛に達した。5分も横になる事の出来ない彼女の状態を伝える祈りの題目が、同役者たちによりリアルタイムで伝えられた。主は切なる祈りに対し、奇跡的な回復という答えを与えられた。驚く事に3か月で日常の生活に戻り、主は歩けるほどに彼女を回復された。〈編集者〉

-今はだいぶよくなっているように伺えます。事故当時どのような状況でしたか?

“私は今、ヘブロン原型学校のミッションママとして仕えております。ミッションママとは寄宿生活により運営され、この学校に在学する学生の内、宣教師の子供達を週末に母親のように面倒を看る、仕える役割です。事故が起きた日は、子供達が冬休みを迎え両親のいる宣教地へ行く為に空港へ行く道でした。子供たちが無事出国する様子を見届けたあと、近くに息子の家があるので少しだけ寄って帰ろうとしました。普段交通事故が頻繁に起きているという場所でした。

運転をしていた嫁の「お母さん!」という叫び声と共に‘大きな音’と‘グシャ’という音が聞こえました。瞬間息が出来なくなり“主よ”と口にしたのですが、やっとのこと息が出来た状態でした。目を開けてみると運転席は目を開ける事が出来ない程ひどく潰れており、私が座る補助席の窓はすべて割れていました。私の腕に抱かれていた孫の頭にはガラスの破片が刺さっており大変危険な状態でした。”

-大きな事故だったのですね。

“私は精神を整え落ち着いて両足を動かしてみました。幸い手と足を動かすことが出来ました。しかし胸がとても痛みました。嫁に怪我している孫を連れて先に病院に向かうよう説得し車の中に一人残されてみると、昔の出来事が走馬灯のようによぎっていきました。良いことにしろ、悪いことにしろ、簡単に口にしていた‘主が許された事であるならそれが最善だ’という言葉が何度も思い出されました。‘それならば、今のこの出来事さえも主が許されたのか?’という質問が思いおこされ、神様の許しによるのだという確信をもちました。そして主に感謝しますという告白を致しました。”

交通事故の現場で感謝の祈りを捧げる

-厳しい状況の中、主は心を守って下さったのですね。とても我々によってはする事の出来ない告白をされましたね。

“はい。救急車にのって病院に到着しました。肺に水が溜まりちゃんと息が出来ないようになり、水におぼれ死んでゆくような感覚の時間が過ぎました。しかし主が許された環境だという考えが繰り返し頭の中をよぎりました。私の事故の知らせが、交わりをしていた兄弟姉妹たちに届き、多くの方が訪ねて来ました。ある日一人の宣教師の先生が訪ねてこられ、神様の御前で聖潔であることと高慢になってはいけない事を語って下さいました。そして最後に全世界の為に祈るよう嘱していきました。当時はろくに座る事さえ手に余る状態だった為、いったいどのようにして祈ればいいのか?と悩みました。

その時、私を担当していた医者が、肺の水を押し出すためには深い呼吸をしなければならないといいました。高い山に登った時に、「はあはあ」とはく位の深呼吸のことです。鎖骨を複雑骨折している状態なのでそのような呼吸は無理だと思いました。しかしもう一度考えて直しました。主人に付いて病院を1周、2周…、立ち止まって呼吸を整え、また1周、2周…、一万歩が超えるほど繰り返しました。

歩いている間、神様は世界で戦争や飢饉、患難によって苦しんでいる魂たちを思い出させて下さいました。更に力を振り絞って歩きながら祈りました。その次の日の肺を撮影した写真を持って入ってきた医者が笑いながら私に言いました。肺が水を半分以上押し出したと言いました。医者の言葉を聞きながら、主はこの祈りを喜ばれるのだなと思いました。この歩みを止める事は出来ませんでした。祈りをすればするほど主が本当にこの祈りを願っておられることを知りました。結局次の日、肺が水を完全に押し出した為、退院するように言われました。”

-驚くべき主の御業を体験されたのですね。

“はい。しかしこの全ての出来事は祈りの答えだったのです。私の知らせを聞いて多くの同盟者たちが見舞いに来たときに、私は分かりました。彼らの祈りによって私が回復されているということです。祈りにこのような能力があると言う事を身をもって体験した為に、祈りを止めてならないという思いがしました。以前はソーシャルネットワーク(SNS)のようなモバイルメッセージを通じて上がってくる緊急祈りの題目と私とは、関係ないことのように思っておりましたし、祈りませんでした。しかし今は、絶対に受け流すことは出来ません。イエス生命となった証人たちの姿を通して生き返った私がまさにこのことの証人だからです。”

祈り以降、肺の水が抜ける 

-尊い信仰の告白を聞き、本当に主に感謝します。このような時間に至るまで主がどのように勧士さんの人生を導いてこられたのかお伺いできますか?

“私はイエス様を信じない家庭の4男1女のうち長女として生まれました。小学校の時、友達に付いて初めて教会に行きましたが、イエス様についてはよく知りませんでした。中学校の時に転校した学校がミッションスクールだったので、そこで初めてイエス様について詳しく聞き知ることになりました。聖書の御言葉を学ぶ時間がいかに楽しかったか、他の勉強は出来なくても聖書の試験はいつも100点満点でした。

しかし中学校を卒業すると同時に、私はイエス様とは関係ない者となりました。20歳になると私は社会に出て仕事を始めました。しかし主の導きだったのか職場にて仲良くなった友人がある日イエス様を信じるようにと私に話したのです。その言葉がきっかけとなり、また家の前にある教会に行くようになりました。何も知らないまま毎日教会に行き礼拝を捧げました。教会に行くといちばん前に座ってみるなど、会社が終わると教会に行き祈る日も増えて行きました。ただ主に会いたいという切ない思いだけでしたが遂に主は私に会って下さいました。”

-イエス様に出会った後、どのような変化がありましたか?

“イエス様に出会ったあと、全ての事が新しく感じました。主に神殿の門番でもいいので教会で働きが出来るように求めました。その祈りを聞いて下さった主は、私を教会の勧士として召して下さいました。その後、20代半ばには宣教事務室で仕事をしました。そこに居ながら宣教に対してだんだん目が開かれるようになりました。宣教に対し夢を持つような人たちがあまり居ないような時代でした。それでわたしと同じような夢を持った青年と出会い結婚する事になりました。”

-ではすぐに宣教師になられたのですか?

“いいえ。夢ではありましたが、私たち夫婦は宣教とはまったく関係のない生活を送りました。家を受け持ち長男の役割を果たさなければならなかった夫は、その夢をしばらくたたまなければなりませんでした。私も主人に付いて生活の基盤を全て整理し、縁もゆかりもない大田にきて住むことになりました。どんな事も主に対してはばかるものがなかった以前の暮らしとはうらはらに、いざ結婚をしてみるといろいろと制限される状況のゆえ私の中には葛藤が生じるようになりました。

教会の仕事を一生懸命しても満たされることのない渇きが生まれました。舅・姑と同居し、表向きには従順しているけれども、愛する事の出来ない二重な心のせいで苦しみました。また解決できない罪の問題により戦いながら生きていました。事実信仰で生きる事に対して何一つちゃんと知っている事がなかったのです。”

-その渇きをどのように解決されたのですか?

“ある日テレビをつけたのですが、福音によって生きているある方の講義を見る事になりました。まさにこれだ!と私の中で知ることの出来ないような渇望が湧きあがったのです。もう一度見てみようと基督教チャンネルだけ1週間ずっとつけていました。そして私の教会で宣教地にいく為に準備中であった副牧師夫妻が私に福音学校を紹介して下さったのです。

そして2006年、福音学校に参加して総体的福音を通して私は完全に、存在自体が罪人である事を知りました。これまで自分の心を押し潰していた大きな石のようなものが取り除かれた感じでした。それでもその時はまだ福音の内容をすべて聞き取る事は出来なかったみたいです。一歩ずつ主が導かれるとおりに従順するのみでした。

御言葉に無知であることを悟り3か月の間聖書だけ読んだ気がします。目からうろこがとれるように御言葉一節一節が見えて来ました。

御言葉一節もたいして覚える事の出来なかった私が、いつの間に聖書の御言葉が自然と浮かんでくるようになりました。もっと福音を深く体験したく参加した宣教館学校や執り成しの祈りの学校を通して、神様の子供として回復した生命らしく生きる事がなんなのか聖霊様が教えて下さいました。少し知ったからと言って留まる事がないように、主の恵みを賜った者達と共にするようにして下さいました。初めは、十字架にてイエス様と私が死んだという言葉がなんであるのか分からずに無理に我慢をし、昔の自我が上手く死なず信仰の競技で倒れもしました。しかし主は、鈍感なわたしに神の国の話を豊かに教えて下さったのです。”

福音の真理に接しながら聖書通読

-この福音は勧士さんにとってだけでなく周囲の方たちにも良き知らせとなりましたか?

“当然です。私が知っている限りもがきはしましたが、結局は主が成されることを見る事が出来ました。特に主人が福音の前に立った時は、主が私に‘本当に福音は良き知らせであるのか?’と聞かれました。他の人たちが福音に出会い自由になるときには‘主がなさいました!’と共に喜び叫んだのに、福音によって現わされた夫の弱い過去の姿を見てみると本当に簡単ではなかったからです。しかしそのような夫を召して下さり、私たちの罪をもう覚えず、東から西が遠いようにそのように思われるという御言葉に頼り全てを忘れて祈りましょうと話しました。

ミッションママとして次世代の宣教師に仕えています。

こんな風に話せるようになったのは全て主の恵みからでした。当時わたしが主に信頼することなく自分の血の気に任せて夫に詰め寄っていたら、新しい生命として回復された福音の能力を味わう事は出来なかったはずです。

共に主に祈るとき、初めて私の心に自由が望みました。そして福音による生命と生命が出会う連合がどんなものかを知ることができました。主を慕い求めれば求めるほど、主だけ残る生き方に対する渇望がますます大きくなりました。それで6ヶ月の共同体の訓練に入る事になりました。”

-その訓練は勧士さんにとってどのように有益でしたか?

“自分の義がなんであるのか実態を見ました。自分のいかなる善によっても主の御前に出てゆくことは出来ないという恐れによって両足の力が抜け立ち上がる事が出来ませんでした。御言葉の前に立ちたがらない自分の罪なる心と戦いながら御言葉祈りの時間に参加しました。そして十字架を信じる信仰の生きざまによって、主だけで充分ですという結論を掴む事が出来ました。”

-そのような恵みを味わっておられたのですね。主はそれ以降どのように導かれましたか?

“当時共同体の訓練を受ける際に、次世代の子供をもっている親たちが福音と祈りによって子供たちを養育するという学校について話し合っているのを耳にしました。私は‘この分野とは関係ないわ’と聞き流しました。しかいある日、共に訓練を受けていたある宣教師の先生から子供たちが留まるところがないという話を聞いたとき、心に感動が与えられました。しかし従順したくはありませんでした。しかしすでに私は自分のやりたいに対して死んだ者であることを告白しておりましたので、主の御旨に従順することにしました。そしてこの1年ミッションママとして仕える事になりました。

始めの年に一人のお子さんを、また次の年には二人のお子さんを預かる事になりました。最近では、私の方が子供達から学んでいます。真理から離れた行動をしたり、言ったならお互いが共に心理によって立たせてあげます。近頃のどこの誰が60過ぎの年寄りと会話などするでしょうか。福音でなければどうしてこのような事が可能でしょう。本当に感謝しております。”

-福音によって次世代を立たせておられるのですね。最後に祈りの題目を聞かせて下さい。

“今も相変わらず自分の力によっては福音の真理の通りに生きる事が出来ません。主が私の内に居られてこそ可能な事です。天のおとうさまの御旨をよく知り、信仰によって従順することと、遅れながらも主がどんな場所へ召されたとしてもアーメンとして出て行く宣教師として献身する事が出来るように祈って下さい。”

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