“パテロはイエスに言った、‘主よ、なぜいま貴方について行くことができないのですか’(ヨハネの福音書 13:37)”
行いたいけど、できない時がある。神様が答えてくださらなくて、ただ待つしかない時、それは私たちが罪から分離して清くなることを教えようと与える時間である。
ペテロは神様を待たなかった。彼は試練をうけるだろうと思っただけだった。ペテロは言った。‘主のために命も捨てます’
しかし主は答えられた。‘鶏が鳴く前に、貴方はわたしを三度知らないと言うであろう。’ 神様はペテロを本人よりもっと深く彼を知っておられた。ペテロは自分の能力ではイエス様に従うことができなかった。
衝動的献身は私たちをイエス様へ導いて、イエス様に強い魅力を感じるが、決して私たちをイエス様の弟子にはされない。そんな献身を持っているといつかはイエス様を否認することになるだろう。
神様の時を待とう。神様が導くようにしよう。
– オスワルド・チェンバスの主は私の最高峰の中から