“イエス様に似て絶えず新たになりたい”

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re_113_7_1 life春が来た。冬の間死んでいるような木の枝から緑色の葉っぱが出てきた。その枝からお花が咲く。

この世の物に主のみ手が届かない所がないだろう。この世のすべてのものと命の価値は全部このように神様によって創造されていて、主の属性を含んでいる。

しかし春に咲く美しいお花を見て喜ぶことも瞬間だけである。すぐ夏にくると春の物たちはなくなるでしょう。永遠もイエス・キリストしかいない。今だけではなく、将来の人生まで導く、真の唯一な喜びの源泉になるイエス・キリスト!

ふっと私の中で質問が投げられた。私は主を一番喜んでいるのか。私の喜びと悲しさの理由は何なのか。本当に主が私の最高の喜びなのか。この地のことに中毒されて、そこにずっと留まりたがって、それがないと病まで生じるのに、私のイエス様は私にいまどんな待遇をうけているのか疑問が湧いた。

イエス様と親しくないことに対して病が生じるくらい心から熱望しているのか。イエス様と厚い愛の交わりを望んでいるのか。絶えず質問が自分に投げられた。それで本当に自分の魂に満足を与えてくださる方が神様しかいないという事実を私は本当に知っているのかと深く考えるようになった。

ジジョスホリック(Jesusholic)。イエス様なしには生きていけない、ずっとイエス様だけを知って経験して生きる人。一語でイエス様に中毒された者だという意味である。

一つのものに中毒された人は中毒されたその対象だけを考える。手段と方法をかまわず、それをほしがる。そしてそれにおぼれて喜ぶ。イエス様におぼれた人だけがイエス様から来る喜びと平安を知ってその中で生きる。

私はイエス様に完全に中毒されたい。適当におぼれていて信じられないイエス様を信じることに苦労だけして、喜びもない人はこの世で一番不幸な人になると思う。

この程度でいい、神様に対してこの程度で満足しようと思う人がいるならば、それを捨てないといけない。本当に正しい方。イエス様だけに集中したい。イエス様に会って喜ぶために、イエス様をもっと知って主だけを考えるように焦点を集中することを決断した。

“造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。”(コロサイ人への手紙 3:10 )

イエス様に似て絶えず新たになりたい。聖霊様が私の中に臨んでからこの渇き。主だけをもっと知りたい。神様で満足できないものをすべて捨てて、ただ主だけに視線を注目して主だけを満たしていくことを望む。主がくださる生水をのみ込もう!イエス様を喜ぶ命のみ言葉におぼれよう。[GNPNEWS]

盧ジョンユン(聖書言語訓練学校)

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