最近ネヘミヤ52祈祷に参加するソウルのある教会に巡回祈祷チームとして行ってきた。神様はまずこの旅程を始める前に約束のみ言葉をくださった。
“静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる(詩編 46:10)”
私はこのみ言葉のように静まって教会で、お祈りの場で、どのようにこの世の中で神様が神様になることを現し、高められるのかが見たかった。なお長い間ネヘミヤ52祈祷に参加してきた教会だったので期待感が高かった。しかし結論から言うと、主は私の人間的な期待を完全に崩したのである。
2泊3日間教会にとどまってお祈りに参加した。まず牧師さんと奥さん、そして聖徒たちと祈って交わった。一年に4回ネヘミヤ52祈祷に参加すると言われた。
一週間24時間教会が万民の祈る家であることを宣布するネヘミヤ52祈祷であるので、少なくとも一年に一カ月程度は教会が休まずお祈りに参加することになる。そのせいか聖徒たちにおいてネヘミヤ52祈祷は特別なイベントではなかった。ただ日常の慣れ切ったことのように感じられた。
一年に一カ月間毎日24時間祈る教会
聖徒たちは神様の国と復興と宣教完成のための人生をおくるよう、牧師さんは静かに従順の歩みを歩んでいた。聖徒たちのために毎月特別な黙想集を発刊した。
黙想のみ言葉の本文と共に裏面にはこの世で緊急に聞こえてくる祈祷情報を一つずついれておいた。聖徒たちはみ言葉とこの世の状況を見て、すこしずつ真理に接してこの本を聖徒たちに配布してお祈りの人生へと導いた。
そのせいなのか。ある執事さんはお祈りの場が負担になっても、家に何か問題が起こるとお祈りの場へ来た。教会の番人のように教会にいて、空いた時間にお祈りを捧げる聖徒たち。福音の前に立ってから、借金を返していまは本当に神様しか残ってないという執事さん。それぞれ違う姿で従順の歩みを歩んでいる証人たちを神様は見せてくださった。
神様がなぜ私をこの祈祷の場へ読んでくださったのか、時間がすぎてすこしずつ気付いた。実は私の心の中には宣教完成の日がとても遅く感じられていたのである。
それで現実と人生と‘神様の来られるその日’に対しての距離感を感じていた。この福音と祈祷だけで本当に十分なのか。神様はそんな私に疑いを剥がしてまじめに神様の国の復興を自分の目ではっきりと見るようにしてくださった。
主の来られるその日までけっして止めない主に従う人生。福音と祈祷で主が働くことを信じるので、他の結論は要らないとても確実で明瞭した人生だった。
神様の国の復興の現場
神様が自ら建てた教会の姿は私が期待した以上のものだった。ひと時酒屋であって地下に位置した小さな規模だったが、そこは福音の命をもってこの世の真ん中で、主が自ら働くためにお祈りをもって、この世に仕えている本物の主の体である教会だった。
人間の頭では計れない、どんなことと比較できない神様が喜ぶ教会であると信じられた。
福音はつまり命であった。神様は私に約束したままに、真実にみ言葉を成し遂げた。神様は福音と祈祷で従順する教会を通して、自ら主の栄光をこの世の真ん中に現してくださった。
極に制限的な私の目と考えを開いて主の働きを見るようにしてくださり、恵みの栄光に参加させてくださった神様の真実さを賛美する。ハレルヤ!主がなさいました。[GNPNEWS]
ジョン・ヨンミ宣教師