あなた達が悩んでいる問題解決の糸がここにある。

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私が所属している共同体では定期的に福音祈祷新聞を購読している。そして、私に福音祈祷新聞を配布する任務が任せられた。最初はどのように新聞を配ればいいのか困っていた。

どんどん積もって行く新聞を見ながら生命の宝物を土に埋めっているようだった。このままでは居られなかった。それで、当てもなく、当時、共同体が住んでいた大学路を初め地下鉄、教会、アパートの団地、ハイウェーの休憩場、市場などに新聞を持って行った。

そのように色々なところで新聞を配っている中、母校で主の特別な恵みを経験した。
ヨンせ大学の正門に入ったら長く広がっているベッヤン路は、私の大学時代の欲望と悪い欲に閉じ込められて、ものすごく自我だけを追求しながら歩いていた場所だった。

そんなところを正確に10年後、主は私に福音祈祷新聞を持って再び立たせた。本当に感激だった。神様なくこの世だけを追及しながら疾走した存在を今、イエスキリストの生命でここに立たせたからなのだ。

ベッヤン路を上がりながら会う人々に新聞を配り始めた。学生なら大体後輩であるだろう。真理を分からずさまよいながら、渇望している心霊を持つ彼ら、イエスの十字架なしでは永遠な審判を受けるしかない事実が余りにもせつなくて情熱的に新聞を配った。そして、心から叫んだ。

“あなた達が何を悩んでも全ての問題の回答はイエス様にあるの。この新聞がその回答の糸を捜してくれることが出来るの。お願いだから読んで。題目だけでもいいから。。。”

在学の時には興味もなかった祈祷室に入った。偶然、祈祷室の隅にある芳名録を見た。特別な期待もなく見ていたら彼らの魂の中で自分の実存に付いて深刻に悩んでいる内容を見る事になった。

 ‘イエス様、私はイエス様を信じているのにどうしてですか?イエス様が十字架で死んだでしょう?それなのに、私はどうして罪を絶つことが出来ませんか?’

彼らの祈祷題目を見る瞬間‘ハレルヤ!そうだ。ここに祈祷しに来る魂にも必要なのは福音だけだろう!’と私の中から嘆声がもれてきた。そして、祈祷室に私の連絡先と一緒に福音祈祷新聞を置いてきた。

神学大学館に足を運んだ。回覧板に新聞を置いてから考えた。私が神学を専攻したのは神様のお召しだった。使徒信条が何なのかも分からず、聖書の1ページも読まないでここを卒業した私が宣教師になるなんて。。。ついに専攻を見つけた人生だと思ったら笑いが出ながらも感謝した。ハレルヤ。神様の恵みに感謝と賛美を捧げる。

私のような人も宣教師としてお召しになったように、ここにいる人々にもそのような恵みを与えて下さることを願った。帰り道にキリスト教連合会事務所と応援団室に訪ねて新聞を配った。先輩だからといって大きい声で挨拶をする後輩達に哀れみ豊かな主の恵みが溢れますようにと祝福した。

神様は以前、母校が福音化されるように私を通路として使ってくださいと言う祈祷にこのように応答して下さった。そして、福音祈祷新聞を読む者が全部福音になったイエスさまを生命で会いますようにというこの祈祷にも応答してくださる事も信じている。[GNPNEWS]

ホワン・ジャンヒョン
筆者は文化芸術宣教団体、文化行動アトリーで福音が土の果てまで伝えるように文化芸術宣教師として仕えている。教会と協力して、支援して諸国が主に帰る為のお召しに全力を尽くして走っている。

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