主は、すばらしい音楽よりも礼拝を望んでおられました。

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従順によって作曲している キム・ジョンウン宣教師(文化行動アートリー)

世の中で受けた傷や内面の葛藤を治癒し、喜びを得るために人々が選択するなかのひとつが演劇やミュージカルのような公演芸術である。しかし単純に人々の心に感動を抱かせることに終わらず、公演を通して喜びの知らせる、すなわち福音のメッセージを宣布し、ただ神様の御名だけを高めている場所がある。文化芸術・宣教団体である文化行動アートリー(代表 キム・グァンヨン)である。ここで、舞台の裏側の目に見えない場所で音楽という道具を使って生きておられる神様を賛美し、仕えているキム・ジョンウン宣教師と出会った。〈編集者〉

-最近はどのように過ごしていますか?

“主が私を召して下さった場所がたくさんあります。(笑) まずは私の団体にて運営している世界の為に24時間休まず祈っている列方祈祷センターの番人をしています。

祈りをたくさんする役割です。また毎週大学路の小劇場で捧げられている礼拝の伴奏者として仕え、私たちの団体内の宣教師の子供(MK)である次世代の子供達を教育する‘ノウィング・ガッドスクール(knowing God school)’にて教師としても仕えています。神様を知っていく学校という意味です。そして今は春休み中なのですが、ヘブロン原型学校にて教師として仕えて来ました。そして私たちの団体でしている公演の音楽を担当しています。”

-劇団の仕事以外にも次世代の子供たちに仕え、教えることを沢山されていますね。

“実際わたしは20歳のころから子供たちを教えて来ました。しかし福音に出会ってみて初めて、自分は一度も子供たちに愛をもって教えたことがないということを悟りました。今はもう一度機会を与えて下さった神様がご自身の御心を注いて下さっています。

子供達を教育しながら、子供たちと目線を合わせていく過程を通して、私たちを愛しておられ低い人間の姿で来られた主をもっと理解するようになりました。そして、子供たちの中におられる主を発見しながら交わりをしていく時間がとても大切です”

祈る文化芸術宣教師の生き方

-文化芸術宣教師の生き方は本当にさまざまですね。今の姿となるまでにどのように神様が導かれたのか気になります。

“神様の完全な恵みでした。幼い頃、賭博におぼれた父のせいで家の中は大変な山が幾度もありました。そんな不遇な家庭環境のせいにして‘誰も気にせず自分一人で生きていく’と決心し生きて来ました。それでも主は私を小学校の時教会へと導かれました。当時、友達について行ったことがきっかけとなり、罪を犯しても気づいたら礼拝堂に座っているという自分が居ました。

主が私をそのように待っていて下さったのですね。そうして高校生になった頃、偶然知った演劇にはまりました。両親はかなり心配しました。私は歌が音痴ですが神様を賛美したいという熱望がありました。

結局、教会音楽を専攻しながら知人たちの勧めでミュージカル音楽を勉強し現場へと飛び込みました。その時にアートリーと縁を結ぶことになったのです。私の最初の作品を今の私たちの団体の代表であるキム・グァンヨン牧師と共に作成しました。”

-宣教師として献身するまでにどのようなことがありましたか?

“音楽を勉強している時に主人と出会いました。結婚後、アートリーが主管して集まる大学路・待つ礼拝にて主人は伝道師として、私は伴奏者として仕えました。その時は私たちの人生を主に捧げていると考えていました。しかしある時期から信徒たちは自分たちが出会った福音の話をし始めたのです。

そして、彼らの人生が実際に変わって行く事を見るようになりました。しかしおかしなことが起こりました。彼らは確かに福音を感激的に分かち合いましたが、彼らの告白を聞く事が嫌でした。心の中に漠然と恐れが生じ、‘あの人たちが言っていることが本当ならどうしよう。その言葉通りなら私はつぶれてしまうのでは?’という考えが頭から離れませんでした。

実はわたしは今まで、それなりに悪くない人生を送ってきたと思っていました。お金も稼げていい結婚もしたし、家庭も団らんしていたからです。そして1日に3〜4時間ほどしか寝ない程忙しく誠実に生きて来ました。演劇・映画科の専門学校で子供たちを教え、それなりに愛をもって仕えながら変化していく学生たちの姿をみてきました。学生たちにむなしい生き方を求めて付いて行かないようにする為、学校で祈りの集まりを持ち福音も伝えました。

しかし、私が伝える言葉と私の生き方はまるで違いました。神様が私たちを導かれると口では言いながら、世の中での成功するみちへと学生たちを指導し教えました。喉が渇き始めました。

このまま人生が終わるのでは?危機感が押し寄せて来たとき主は恵みによって私たち夫婦を総体的な福音の前に立たせて下さいました。やっと自分の人生が主の物となり躊躇なく宣教師として献身しました。恥ずかしながらイエス様を人格的に出会ったのも献身したあとでした。”

変わっていく人々をみながら福音に対し切望

-それ以降味わった恵みを分かち合って下さい。

“神が遣わした者を信じる事、それが神のわざですという御言葉があります。これからは、使役ではなく神様のわざを行うという恵みを下さいました。神様を信じる為に私の存在が宣教的な存在だということを悟るようになりました。そしてその方法について悩んでいる時、アートリーの共同体に入ってみないかと持ちかけられました。

全てが分かって従順した歩みではありませんでした。しかし主について行った道でした。そして、主がどのような方であるかを具体的に知っていく時間でした。”

▶一人が一人の魂を神様へというスロガンにして、1.1.1.プロジェクト‘回心’公演の練習の現場である。

-特別な事件はありましたか?

宣教師訓練の途中二人目を妊娠する事になりました。しかし、病院から子供の健康に異常があると診断され、直ちに聞く事もなく必要な検査を受け始めました。献身はしていましたが、住んでいた家がまだ処分できていない状態でしたので、それさえ処分すればなんとか治療費に充てることができると思いました。

その時から子供が病気だという理由で全てにおいての主権者が自分となりました。検査が進行されるほど借金がネズミ算式に増えました。主人にはこの事実を知らせる事が出来ませんでした。

全てがめちゃくちゃになった気分でした。その時主がわたしに問いました。‘ジョンウン、献身とはなんだと思うか?お前のするべき事はなんであるのか?’‘主よ。私のするべき事は主を信じることです。’この時間を通して始めて本当の主権者が誰であるのかを悟る事になりました。

結局、臨月のお腹を抱えカード会社に借金を返してまわり、自分が経験した神様の恵みを何も知らないカード会社の従業員たちに語ることになりました。それがきっかけとなり、わたしたちの共同体に子供たちのおやつを買って持ってくる人もいました。その交わりを通してさらに神様が高められる時間となりました。

神様の訓練はさらに続きました。そのあと赤ちゃんが生まれたのですが、呼吸をしませんでした。心臓と脳にこぶが発見されました。子供を出産したあと、指ひとつ自分の思い通りに動かせない死のような時間を過ごしながら、生命と死の主権もまた主にあるという事を知らされました。

そして、一生安息というものを味わえなかった私を、主の中で安息するようにして下さいました。そして、まるで神様が私たちの信仰の歩みを応援されるかのように、名前も知らないたくさんの兄弟姉妹を通して治療費を供給して下さいました。”

宣教師に献身後、子供を通して神様を経験

-結局主の恵みは安息の場所に入る事だったのですね。

“そうです。曲を書く時にも同じです。本当に私にはなんにも出来る事がありません。以前は決心さえすれば曲を書くことが出来ると思っていました。しかし年を重ねるほど私はただの見物人に過ぎないと言うことをさとるようになりました。

ルカによる福音書15書に出てくる、家を出た二人目の息子を待つ父の心を礼拝するミュージカル、アパ(ABBA)にて仕えたときには、父の心を知ることが出来ずとても曲を書くことが出来ませんでした。数多くの福音の証人たちの話を歌にしながら分かった事実は、神様は私が上手だからさせて下さったのではなく、分からないからこそ教えて下さる為に招待して下さった場所であるということでした。

駄目だ。潰れてしまうというとき、本当に毎回主が成して下さる事を見ました。主が願われるのは礼拝であって、すばらしい音楽ではなかったのです。公演礼拝をおこなう度、私は主の前で恥ずかしい思いがします。私が作った音楽は、自分のポケットから出た魚2匹みたいにつまらない物だからです。

しかし、主はそれを‘見てごらん、これは私の内から出たものだよ’と私に差し出して下さいます。どんなに感激することかわかりません。なんと私の中に福音を入れて下さり、音楽を通して外へとあらわにされる…盛ることの出来ない器に盛って下さるイエス・キリストを本当に味わう時間であります。”

音楽は従順の実であることを実感

-音楽の領域にて仕えながら主が下さった恵みを分かち合って下さい。

“現在、ヘブロン原型学校で音楽教師をしているのですが、たくさんの恵みを味わっています。最初は子供たちに何を教えるべきか悩んだのですが、神様がひとつ教えて下さったことがありました。‘あなたも学んだからできるようになった訳でなないでしょう?’考えてみると、主が私にされたのと同じように、全ての生命の中には神様に対する歌が植えつけられているという事がわかったのです。

私はそれを外側に引き出せるようにする通路に過ぎないのです。そしてどんなものにも縛られることなく、歌うための歌ではなく、ただ私たちの魂からあふれ出る賛美を学生たちに教えてあげたいと思いました。その間どんな人々に教えたよりもいちばん震えたような気がします。主に敬意を払いながら教えたことが一度もなかったからです。

子供達に‘これをしてみるように’と提示したとき、はばかることなく曲を書き、演奏し、賛美するのをみながら‘音楽はまさに従順’ということを悟りました。作曲とは自分の中にある全てを総動員して創造するものではなく、聴かせて下さることにアーメンと従順することであるという事を知ったのです。”

-最後に祈りの題目を分かち合って下さい。

“私の同僚の宣教師が他の団体から派遣されたとき、祈りのカードにこんな言葉がありました。‘方法ではなく主の御心を求める事が出来るように祈って下さい’本当にその告白にアーメンできました。言葉で騒ぎ立てる人ではなく、生活を通して生き抜く事が出来るように祈って下さい。

そして、現在2ヶ月あまりアメリカを巡回しながら捧げる公演礼拝を準備しています。アメリカの教会が立たされ罪によって染まってゆくその地がキリストの血潮によって回復されるよう希望をもって準備しています。私たちは今回の日程を‘アメリカ戦闘’と呼んでいます。今回の日程の中で主が勝利されるよう祈って下さい。

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