子を胸に抱いて‘主がこんな幼い子として来たのに・・・’と感激

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働きの現場でもっと待ち望む神様の国

神様を信じない家庭で生まれて育った私は真理とは関係なく生きていた。しかし主に出会ってから、主を知って従いたい気持ちが生じた。罪によって死んだ以前の命としては到底主に従えない、自分が主人である人生を生きていた。

主はこんな私の魂の乾きを知って、総体的な福音の前に私を立たせてくださった。そのことは私の人生のすべてを新たにしてくれるタンニンポイントになった。十字架で私に会ってくださったイエス・キリストを信仰によって、本当のよみがえりを経験した後、神様は望んでいた‘み言葉が導く人生’へと私を招待した。そして主の召しに答えて宣教師として従順した。

献身後間もないとき、神様は私の家庭に新しい命を与えてくださった。いまはそうだが、子供たちの存在は私に主をもっと見上げらせる尊い通路である。双子の娘、イェナとハナが生まれたが、本当に小さな赤ちゃんだった。2.3kgの小さい子供たちを抱いて、イエス様を思いうかんだ

すべての万物を創造した全能なる神様が、一人では何もできないこんな‘赤ちゃん’としていらっしゃったのに・・・感激の涙があふれた。その理由がまったくない神様が御子としてきて、私の命とすべての人生をあがなうために、自ら何もやらないことに決めた御恵みに感激した。

このように始まったお母さんの生活が易いことだけではなかった。夜ずっと替わり番で起きる子供たちを食べさせて寝かせて、時にはオムツと必要な物を主に求めた時間もあった。寝たいときに寝むれなくて、食べたいときに食べなくて、すべてを私が望むままにできない時間だった。

二人の子とひとりで過ごす時間の中で、‘本当に私は何で喜べるのか’、‘私はなぜ悲しむのか’を絶えず質問して、真理が結論になることが何であるのか少しずつ実在になる時間をすごした。

朝早くに一人で子供たちを見ながら祈って賛美して、主を求めた時間。祈ると必要な物を満たしてくださる主の恵みを経験した時間が、いま思うと本当に幸せだった。

子供たちを育てて共同体を省みて、見えない場で主と交わるヤエルの人生。私が属した宣教団体は家庭で子を育てる宣教師をヤエルという。聖書の女性‘ヤエル’は家の幕のなかでいながら、敵と戦った。ヤエルとしてすごす時間は、誰よりも自分に主が必要な存在である事実を発見する恵みの場であって、未来の宣教師たちを養育する特権を感謝する時間だった。試行錯誤しながら、主と共でないと何もできないことを体で学んだ。

そのころ三番目の子が生まれて、主は私を働きの現場へと移った。子供の養育といろんな働きに仕える場で、主はまたも違う栄光を捧げるようにしてくださった。

ヤエルとしている時には、信仰で教会とこの世のために‘お祈り’することが全部だったが、働きの現場ではいままで祈ってきた教会と聖徒たちに直接会って、彼らに仕える恵みと主の働きを直接見て、もっと主の国を夢見るようにしてくださった。その過程で夫をもっと理解するようになって、もっとよく仕えないといけないことに気づいた。

主がかしらとして立たせてくれた夫を真心を持って仕えて、み言葉を宣布する場で仕えている夫のために祈ること、そして見えない場でも夫がいただく恵みを私の恵みとして、夫が見る栄光を自分がみる栄光として思って、一つの体の栄光と秘密をもっと悟らせてくださった。

神様の御恵みによるこの場で私が弱くなればなるほど、もっと実在であり、希望でなる神様をたたえる。チュンチョン地域で切実なお祈りをもって、今年もキャンパスの福音伝道と、この世代の世界福音化のために祈るようにしてくださっている。後悔ないように主の国を向けて駆けていこう![GNPNEWS]

ガン・ヨンスク
筆者は結婚後宣教師として献身して8年目になり、三人の子供を養育する場で夫と共にチュンチョンで地域と世界福音化のために使えている。

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