初めて見たアフガニスタンの病院の風景を鮮明に覚えています。

Date

2014-11-22

今は悔い改めて主の哀れみを求める時

わたしはこう 祈った. 「おお,天にいます神,主よ,偉大にして畏るべき神よ,
主を 愛し, 主の戒めを守る者に對しては,契約を守り,慈しみを注いでくださる神よ.耳を 傾け,目を開き,あなたの僕の祈りをお聞きください. あなたの僕であるイスラエル の人々のために,今わたしは朝も夜も祈り,イスラエルの人々の罪を告白します・・・・(ネヘミヤ記1:5-11)

戦争は決して起こってはいけません。私は2009年の一年間、米国(美)軍隊の所属で内戦状態のアフガニスタンに派兵されて、戦争のその悲惨な現実を見ました。

早朝3時頃、2人のアフガニスタンの子供たちが治療室に早急に載ってきました。子供たちは地に落ちていた爆弾を拾って、それが何かもわからずに持って遊んでいるうちに爆発され、腸が外に突き出た状態でした。しかし何の応急の手当てもなく搬送されてきました。子供たちには非常に微弱な息が残っていたが、病院に搬送される間に開いていたお腹から既にすべての血と水を流した状態でしたので助けることが出来ませんでした。ヘリコプターを呼んで大きい病院に移動させる為にアタックして見ましたが、子供たちはそれを待たずに息を引き取りました。

ある日は、ドラックに銃傷で死なれているアフガニスタンの兵士の死体がいっぱい載って入って来ることもありました。 戦場での深刻なストレスに耐えられずに自分の銃を自分の口に入れ、自殺騒動を起こした若い米国軍も見ました。地雷が爆発して足の骨が粉々になって、まるでタコの足のように前後に歪み、寝たきりの状態で痛みを訴える兵士も見ました。

私達が今享受している平和や自由は絶対に無料で得られるものではありません。特に南北が休戦状態の我が国はさらに緊張し、戦争のその日が来ないことを熱心に祈る必要があります。私は見ました。戦争の悲惨さを。。。

最初米国陸軍の病院で勤務を開始した日を鮮明な写真を見るように覚えています。負傷者たちが戦場から急いで運ばれて来て手術を受けて回復する病棟を回っていました。ブロンドの素晴らしい体にハンサムな20代の米軍たちでした。ドアを開けて入った瞬間、私は足を運べずドアを閉まって出で来るしかなありませんでした。ベッドの上に座っている丈夫な兵士は両腕と両足がありませんでした。

私は彼に何を話せば良いのかわかりませんでした。慰めるのか?もしくは、何事もないように接するのか?頭の中が真っ黒になりました。どんな言葉でも慰めるようでもないし、一言でも間違ったら傷になりそうで何も言うことができませんでした。あっという間に2つの腕と脚を

戦争は韓国をめちゃくちゃにするでしょう。 60年の奇跡が爆弾一つで我が国を1950年に戻して置き、水の泡のように消え去るでしょう。私たちの子供を失うことになり、親のない孤児たちと未亡人は溢れるでしょう。多分それは35年間の戦争と内乱で今は廃墟になったアフガニスタンよりも後退することになるかもしれません。 私達がアフガニスタンの助けが必要になるかもしれません。。

我々は、ネヘミヤ1章 の祈りのように神に叫び求める必要があります。私たちの罪を神に告白し、悔い改め、神様との関係が回復されて、神様の哀れみで戦争の炎が韓国に注ぐことがないように、禁食しながら祈りを行うべきです。戦争は決して起こってはいけません。

[GNPNEWS]

ソウソク(ヒムファンド代表)

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