私が失ってしまった青少年期の夢を、次の世代にあげたいです。

Date

2014-10-20

福音によって次世代を抱いた ジョン・ヘンスク執事

希望を見出すことが出来ず、世と自らを断絶しようとした一人の人間が居た。しかし彼女は、主の恵みにより真の列国(世界)に対する希望なるイエス・キリストと出会った。計り知れない主の恵みにより、希望を発見したジョン・ヘンスク執事(ハンソマン教会)。彼女は、青少年期に味わう事が出来なかったその希望の意味を、次世代に分かち合いたく従順の道を歩んでいる。  ≪編集者≫

-自己紹介及び最近どのように過ごしているのか分かち合って頂けますか?

“現在3人の子供の母親です。夫と共に塾を運営しているのですが、今は非常に厳しい状況です。続けるべきかやめるべきか、祈らなければならない程厳しいです。それでも主の恵みによってちゃんと生活しています。経済的には厳しいと言いながら、ちゃんと生活していると言う事がおかしく聞こえるかも知れませんが、本当に主の恵みによって一日一日生きているのです。”

-近頃味わっている主の恵みを分かち合って頂ければ、理解する事にもっと手助けになると思われます。

“十字架の福音を通して、私がどれほど無能で、主を知らない者であるかを悟りました。そして主をもっと知りたくて、去年ある団体で主管している、執り成しの祈りの学校(Intercessory prayer school, IPS)にて訓練を受けました。家庭の事情が厳しい状況でしたが、従順する思いで学校が率いているアウトリーチに行って来ました。

簡単ではなかった時間でした。しかし本当に沢山の事を体験しました。主は、全心で従順する者に、主の栄光を見せて下さると言う事実を体験しました。そのように従順する者として、私を新しく造られた恵みを味わっています。

-家庭の主婦として、又はご主人と共にしている事業を運営しながら訓練を受け、更に何週間も家を空ける事になるアウトリーチに参加する事は容易ではなかったはずですが?

“そうです。執り成しの祈りの学校に行く為には、毎週月曜日ごとに塾の仕事を諦めなければなりません。ただでさえ、塾の経営が難しい状況の中で、私のそのような態度が家族を苦しめる事にもなりえる状況でした。

しかし、本当に主を知りたいという霊的渇きのゆえに、訓練を受ける事を止める事はできませんでした。そんな状況の中で、私がまた海外にアウトリーチに行くというので、もっと難しい事になったのです。”

-その問題をどのように解決したのですか?

“私は本当に長い間、他人の目を気にしていました。他の人たちが、気難しく嫌がる事は自分がやりたい事であっても我慢し、また自分がしたくない事でも、やらなければならないそんな小心者でした。しかし、主が私に聞かせて下さった御言葉に従順しない訳にはいきませんでした。”

主はわたしに‘神の国とその義とをまず、第一に求めなさい。’という御言葉で私が誓願した事に従うことを語られました。それでこの学校の規則とおりに従順しようと決断しました。当分は関係が難しくなるかも知りませんけれども、良き道へと導いて下さる主だけを信じる事にしたのです。”

主の御言葉に従順する事を決断

-どんな結末になったのか気になります。

“飛行機に乗り、帰るときには少し心配になりました。空港に迎えに来た夫が嫌な顔をしたり、気難しく思ってはいないかと、内心ドキドキしました。しかし驚くことに空港の出入口を出て来たとき、主人は両手を広げて喜んでくれました。一人の時間を過ごしながら、‘お前が居ない間、俺もアウトリーチをしていたみたいだった。

お前がどんなに大事な存在なのかを知った。’と言うのです。考えもしなかった逆転した状況を見ながら、御言葉は実際なのだ!私がアウトリーチに行かずに留まっていたなら、主人に対する不信感に勝つ事は出来なかったはずなのですが、中断せずに従順するときに、主が主の御旨を成し遂げられる!見える状況や環境は変わらず恐ろしくとも、主は単純な従順の歩みを激励して下さいました。そのように一度経験した栄光の道を決して逃すことは出来なかったのです。

-今はどのような信仰の道を歩んでいますか?

“私が次の歩みをどのように従うべきか?そのように、主に聞きつつ待っていました。その時、主がお召になった場所がありました。私が訓練を受けたIPSで子守りをする領域でした。講義時間と祈りの時間に、主婦の訓練生たちの子供を看てあげる働きです。

主婦たちは、誰かが子供たちを看てくれなければ、このような恵みの場に出る事が出来ないという事を、誰よりも私がよく知っています。私が願う従順ではなく、主が呼ばれてする事になった従順の場です。だから嬉しいです。”

-このように信仰の一歩を踏み出すようになったのはいつからですか?

“去年妹の勧めで受けた、ある宣教団体が主管している訓練を通して自分の実情を悟りました。その時、私が福音を知らない者であることを悟り、とても大きな衝撃を受けました。

もちろん、その場所に行くに至ったのも、主が導いて下さったからです。妹と母が先に訓練を受けて戻り、力強く推薦し、申請書を出して面接を受けました。

そのときの面接官の質問が忘れられません。‘神様から召されたという事を信じますか?’という質問に頭を打たれた思いがしました。私は今まで、自分が望んだ時にしたのであって、神様に時を聞き従順した事がなかったのです。そのようにして、その訓練に対して慕い求めるようになりながら、主が大きな恵みを下さいました。その時から本格的に信仰の歩みを始めるようになったのです。”

神様から召された事を信じるのか

-次世代に対する関心が多いと伺いましたが、その領域ではどのように従順していますか?

“ご説明したとおり、今、主人と共に塾を運営しているのですが、主人は子供たちを教える講義を行い、私は子供たちの相談役と行政業務の担当をしています。次世代に夢を抱かせてあげたいと心に思っていた主人と、すぐに出来る仕事を探したのですが、それが塾でした。

私が青少年期に、夢というものを知らずに生きたという記憶のせいで、次の世代には、本当に自分が願う夢、自分がするべき仕事を探す事、を手助けしてあげたいと思ったのです。もちろん信仰人としてその夢はイエス・キリストしかありません。しかし子供たちが、やりたい仕事を見つけ、勉強をなぜするのかの理由が分かるのであれば、もっと誠実にやることが出来るはずです。しかし現在の塾の構造では容易ではありません。親の関心は、いますぐ目の前の学生たちの成績向上であって、夢や希望を探す事ではないからです。”

-そのような現実的な厳しさがあるのですね。

“それで塾が厳しい状況にあります。しかし主は、考えもしなかった私たちが従順すべき事を教会を通して見せて下さいました。私が出席している教会には、次世代がたくさん居ます。

教会は、夫が次世代に関心があるのを見て、教会学校の次元ですが‘一つの夢の町’(ハンクムマウル)という過程を新設し運営してみる事を提案して下さいました。今はまだ初期段階ですが、主がどのように導かれるのか期待しながら、一歩一歩従順しています。”

-家庭の領域での従順の生活は、どのような形態で現れたのかを聞かせて下さい。

“私たち夫婦が共に信仰生活をしながら、夫は祭司長だと常に言ってきました。教会でもそのように教わり、私自身も従っていると思っていました。けれども福音の前に立ってみると、実際は家庭だけでなく塾においても、年齢が同じである夫に対して、祭司長のようには接していない事を発見することになったのです。

結局、夫を信頼できずにいる自分の姿を見つめるようにとされ、悔い改めるようにされました。‘これからは、貴方がどんな事をしても信じるわ。私は祈りながら同役しますから。’従順する事を決断しながら伝えました。これから私たち夫婦にも、豊かな主の恵みが与えられる事を信じます。”

夫の祭司長的権威を認める

-従順の生活を生きる時に、現れる難しさはありませんでしたか?

“実際、信仰の道を歩むとき様々な悩みがありました。なぜ限界を超える事ができず繰り返すのだろう?その問題を於いて祈る中、私の家庭の問題の底には、経済的な領域において信仰の一歩を踏み出す事が出来ないという事実を悟りました。

信仰の決断をする時、いつも私の足を引っ張っていたものは、母や妹を含む7人の家族でした。御言葉が能力であり実際であるといいながら、‘家族問題’が出て来た時は、主を完全に信頼をすることが出来ませんでした。いつも私が責任を持たなければならないと負担に感じていたのです。”

-財政問題を、主がどのように克服させて下さっているのか気になります。

“過ぎた6ヶ月の間、家の中の財政は底を付いた状況でした。塾の収入だけでは、賃貸料と教師の給与などを除けば、私たち家族が使える分はほとんどありませんでした。しかし主は、私たち家族を食べさせ満たして下さいました。出エジプトした民を、荒野で導かれたようにです。

そのうち、私が子供たちの為に使う些細な100ウォンや500ウォンを、主に聞く事なく、私が思うままに許していたという事実を知るようになったのです。そのようにして、財政の領域を主に委ねるようになり、主はまたもう一つの恵みを許して下さいました。そのように財政について悟った以後、引っ越しの問題について悩んでいた私たちに対して、予想外に主が、私の家族に最も適した家を許して下さいました。”

次世代問題は、結局、親の問題

-本日、恵みを分かち合いながら‘夢’について何度か語って下さいましたが、主が許して下さった夢がどのようなものか教えて下さい。

“夫は、青少年たちの夢についての関心がたくさんあります。どんな形でも彼らを助けたいと思っています。そのような面からしてみても、主は私たち夫婦にその夢に向かって一歩一歩踏み出すようにして下さっていると考えます。

また子供たちを養育しながら、アウトリーチで行ったイスラエルで捧げた礼拝を忘れる事が出来ません。子供達が大人達と共に礼拝を捧げ、祝福を受けている姿がたくさん思い浮かんできます。結局次世代の問題は、親の問題であるという事実を悟りました。家庭から親が福音によって完全に立たされなければ、子供達はイエス様の品格を似る事が出来ないと言う事を悟ったのです。

私たち夫婦は、子供たちを御言葉の中で夢を探すことができるようにと助ける役割をする為にお召を受けました。教会の中だけでなく、地域の小1~6年生を対象とした対案学校(デアン・ハッキョ)プログラムである‘一つの夢の町’(ハンクムマウル)にて仕える事ができ、子供たちが主の中で、正しい夢を持つ事が出来るようにと祈りながら仕えています。”

目に見える現実は暗鬱である。どんな物も掴むものがない。しかし、全ての宇宙万物の主人である主が、私の父であることを知る事が出来た。その主の中にすべてがある。その主がお召になる所に立つ者、その信仰の一歩を踏み出すことが出来る人は、幸福な主の子供である。

 

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