いつのまにか働きの場ではない一人の子供の母親として生きる‘ヤエル’の場が日常になった。サラが笑ったように私にこんなことが起こるとは想像さえもしなかったのである。結婚後10年目にやっと授けた子供の名は‘神様を敬愛する者’という意味の‘ヨギョン’である。
私はヨギョンちゃんを生む前に、神様の前でどんなに自分が無能であり、不可能な存在であるかを認めて、本当に神様を必要な存在だと思った。しかしヨギョンを生んで一ヶ月間は‘私がこんなに不可能で、無能で、悪徳なんだ’と気づき、この事実がその深さと高さと長さにおいて以前とは比較できないほど認識できた。
予定よりすこし早く生まれて、足りない乳を飲んだらすぐ下痢をする子に、どうしても乳を飲ませたかった母も気持ちだった。しかしやってあげられないことが全然ない無能で、不可能な母である事実に焦るばかりだった。
子供が寝ている間、乳を搾っておこうと奮闘したときには本当に諦めたいほど自分に対して完全に死刑宣告が出された。ただ死刑宣告をうけて死ぬ程度ではなく、死んで墓に入っても死に続ける気がした。母親の資格は本当にゼロであり、母親の能力も完全にゼロだった。
よく言われる産後欝になりそうだった私にささやかな希望は‘こんな私が死んで、主イエス・キリストが生きた十字架’しかなかった。どんな賛美も歌えないほどの絶望だったが、十字架の神様以外には呼び求める名がないことがもっとはっきりした。神様の名を呼び叫ぶ以外には何の希望もなかった。
そのように一ヶ月の時間がすぎて、いまは私が何をするとの考えはなくなった。ヨギョンの母である以前に、私をまず神様の前で罪である存在として徹底して悔い改めて、幼いモセとサムエルを神様に捧げたお母さんのように、ヨギョンちゃんを神様に捧げられるようにと主は私の内面で働いてくださった。
周囲にいる方たちが10年目に生んだので大事に育てるでしょうというたびに、私の中で‘いいえ、いいえ、そうすればするほど主のものです’と叫んでいる。ただ私の体に少しの痕跡だけがあるのです。
主は続けて私を立たせるために、今日もヨギョンちゃんと泡多々しい一日をすごしながら、自分の罪深さを見るように働いてくださった。
従順を拒み、意地をはって答えもしないで、共にいるお姉さんと妹たちに譲るのはめったにしなくて、かわいい習慣になるまで自己否認が必要な姿。しかし怒られてもすぐ‘ママ’と微笑んで抱かれたり、‘イエス様の話をしてください’と繰り返しねだってきていたり、すでにママの悲しい心を理解するように自分を諦める子供の姿を見て、私はどんな存在であるのかを省みるようになる。天国は決して幼いこのようでないと入れないのである!
善なる私の愛する神様は感情に偏った自己中心である私の愛を表して、主の愛がアガペであることを気づかせてくださった。忍耐と許さない私の罪深さを表して、主の無限の許しと忍耐をみるようにしてくださる。そして間違えて諦めたい自分の限界を続けて表してくださって、主の完全さと十字架を悟らせてくださっている。
誰かが一番の最高の霊性訓練は子供の養育だといったが、本当にいま私にヨギョンちゃんを養育するこの時間が、私を立たせて養育する主の最高の時間である。結局神様はヨギョンちゃんを通して神様を敬愛する主の子へと私を作ってくださっている。[GNPNEWS]
ホン・ザヨン宣教師 筆者は宣教師として献身して8年目に夫である安・スンヨン宣教師との間で10年目にして子供を授かって、今年の下半期から夫と共に巡回宣教団のアメリカ支部で仕えている。