天の御国の価値で生きる生き方だけが聖なる能力を現す。

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眞理によって、聖なる 者としてください.

イエス様が十字架に向かう前の晩、天の御国の価値を自らお見せして下さいました。先生が弟子たちの足を洗う天の価値で生きる生き方だけが天の御国の聖なる能力を現します。

血によってではなく, 肉の 欲求や 人の 意欲によってでもなく, ただ, 神によって 生まれた人だけがイエスキリストの聖なる行き方に従って生きられます。新しく生まれる事は新しい生命で生きる事を意味します。

主はサンヘドリンの公会員で、ラビであるニコデモにも‘新しく生まれなければ神の御国を見ることは出来ない’といいます。彼は新しく生まれる事の意味が理解できませんでした。

新しく生まれる事は、誰しも例外のない、必ず経るべき過程です。イエスの死が私の死に成るように私の全存在が福音にぶつかって完全な絶望に至るようにその前に行くのです。聖なる真理の前に立ったら人間の内面の中に深く潜んでいた実体が現れます。

真理によって聖なると言う事は、真理の前に立つという事です。あなたがたは, 朽ちる 種からではなく, 朽ちない 種から, すなわち, 神の變わることのない 生きた 御言葉によって 新たに 生まれたのです.(ペテロの第一の手紙 1:23)の御言葉のように新しく生まれるためには真理の御言葉を聞かなければなりません

福音をきちんと聞く機会もなく、‘新しく生まれる’という主題を適当に預かって、迎接祈りしなさいと言われてしましたがよく分かりませんという方がいます。福音を正確に聞かなければなりません。真理である御言葉、救う福音を聞いて、そんな中で信じて、罪というのは何なのか、自分がなぜ罪人なのか、なぜ自分が 行った義の業によって救われないのかに正直な魂で打つからなければなりません。

私たちが直面している韓国教会の危機に対して答えがないわけではありません。解答は確かにあり、近くにあります。それは、再び福音に戻る事です。再び聖書に戻る事です。福音の核心、中心を知って、その前に立って、ぶつかって見たら私たちの中に改革が起こらないはずがありません。

重い皮膚病を患っていたナアマン軍司令官に必要たったのは階級章を取って、プライドを下ろして、まるで子供のようにヨルダン川で体を洗う“順従”だけでした。何の望みのない罪人の姿で徹底的に潰れた私達が主の追跡に追われて真面目に立って十字架の前にぐんなりと座り込んで両手をあげた時、その時に恵みに預かります。

その時になってやっと 罪人に‘十字架’が福音として見え始めます。虚しい欲望、暮らし向きの自慢、肉の欲を惜しみなく死に渡して、イエス生命に信仰で折り合って行ったら、新しく生まれて救いが臨みます。“私が十字架で主と一緒に死んで、私の中にキリストが生きておられる。”と言う告白が出来ます。

聖なる生き方と言うのは、この世にいてもこの世に属しない生き方を言います。神様を愛する人は世の音に耳を向けずに神様の御言葉に従って生きます。誰の話を聞いて動くのかを見たら誰に属したものかをわかります。

この世を生きる為に完全な指針である聖書を下さったのに聖書には耳を向けずに直接啓示を待って目に見えるしるしを願うのは愚かな事です。主を愛するのであれば聖書に戻るべきです。

わたしの 戒めを 受け 入れ, それを 守る 人は, わたしを 愛する 者である.と書いてあります。

父の愛を経験したいなら聖書の御言葉に順従しなければなりません。

主が胸一杯の感激で、真理によって聖なる者にして下さいと祈るときに十字架の死が陰るほど慕って、願った言葉が私たちが読んだ聖書に記録してあります。息子であるイエスが恵まれた父なる神様との連合と交わり、愛と、一つになるのが聖書の中にあります。

私たちは何にでも満足を知らない存在です。只管、父なる神様の御言葉によって生きて、慰めていただいて、救いを得ます。真理は私たちの歴史を変える能力です。真理と運命を共にしましょう。福音の栄光に恵まれたなら、福音と共に苦しみを受けましょう。

主はもうすぐ来ます。

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