イエスの名のために受けた迫害は大きな祝福です。

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主からの平安をいただいたラクシパ牧師

ただ‘自分’だけを追及していた不信の人生から、神様と同行し、いまは神様の体である教会に仕えている牧師。そして彼と共に教会に仕えている家族の話である。現在ホオリファミリー教会のラクシパ牧師と彼の奥さんウェルマさん、そして娘のジェニに会った。<編集者>

三人の家族と会って並んで座った。彼らに合う前に、すでにラクシパ牧師は今年初旬に‘集団テロ’を経験して死にそうな場面にあったことを聞いていたので、彼らからどんな告白を聞けるか期待があった。

=あえてうれしいです。今日特別な家族の話を伺うことができ、感謝します。どのようにして神様に会いましたか。

ウェルマさん;神様を知らなかったとき、私は短気だったので人たちと絶えず喧嘩しました。家族とも衝突が多かったです。しかしある日病院で私の健康状態がよくないという診断をうけました。脊髄が骨折してひざの血管が固まる状況でした。銀行で働いたときもありましたが、そのときは美容室で働いていました。本当につらかったです。

自殺衝突、暴飲でめちゃくちゃだった家族

=そのように心が貧しいとき、神様に出会える恵みが与えられましたか。

ウェルマさん;私は三回くらい自殺を図るくらい生きることに対しての意欲がなかったです。夫と頻繁に喧嘩しながら離婚を考えていました。その中6年前のある日でした。その日も夫と喧嘩をしました。しかし私たちの家庭のために祈ってくださる牧師さんから電話がありました。その牧師は神様を絶対的に信じることだけが唯一な解決方法だといってくれました。そして牧師の勧めでお祈り会に参加しました。その日驚くことが起こりました。その集まりで私は神様を信じることになりました。

=ラクシパ牧師はどんな過程を通って神様に会いましたか。

ラクシパ牧師;私は9人兄弟中末っ子でした。伝統的な仏教家庭でした。神様を知らないまま成長し、そのなりに成功したと思っていました。ある企業の専門分野の管理職で働いていました。自然とお酒を飲んで、お友達と世俗的な生活を送っていました。また妻ともたくさん喧嘩しました。

私の節制ない飲酒習慣と怠けた生活のせいでした。財政的にも豊かだったし、車のあって乏しくなかったです。しかし私の人生での内的平安はなかったです。いつも心がむなしかったです。そのようにして生きた以来、2008年にイエス・キリストを自分の唯一な救い主として迎えました。

具体的にはその日、私は自分に何かが必要だと気づきました。内的平安でした。勿論世の観点からみると、私は目に見えるお金とか車、職業などすべてを失いました。しかしピリピへの手紙3章7節の‘何でも私にとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損とおもうようになった’というみ言葉のように世俗的なのはイエス・キリストを代価としていただいたことでありました。

しかし神様が私の中に入ってきて、すべての主人である神様が私の本当の主人になりました。結論的に私はすべてを持った者になりました。そして神様は私にすべてをくださいました。本当に私は満ちています。

ウェルマさん;いま私の家庭では神様は私たちの全部です。イエス様は私のすべてです。私は私のお父さんである神様を愛します。呼吸する全瞬間でもイエスさまなしでは生きていけません。私は神様を賛美して愛します。イエス様が私の人生の全部であり、呼吸であって、その方のために生きて死にます。

牧師の勧めでお祈り会に参加

=あなたたちの人生を導いてくださった神様を賛美します。しかしこの親の下で成長したジェニさんはどのようにして神様にであいましたか。

ジェニさん;神様に会う前までは私は学校で多くのお友達と親しくしていました。しかし子供たちと共に時間を過ごしながら心の中にはいつも鬱でした。それでお友達と会いながらも人たちが嫌いになりました。よく考えてみたら、その理由は親の喧嘩のせいでしたが、私も問題はありました。

それで一ヶ月に一回ずつ病院へ行って治療をうけました。その中両親が神様に会って関係が回復してから、私もイエス・キリストを私の救い主として迎えました。そのとき私は16歳でした。

=家族みんな神様に出会って、家庭が多くかわったようですね。

ジェニさん;私の家族はイエス様を信じる前までは精神的にとても沈んでいました。しかし神様に出会ってから、家族礼拝とお祈り会を開いて共にすべてを分かち合いました。一語で平安です。神様の平安が私たちの人生に臨みました。

平安、つまり心の平安はだれもただであげられません。デパートにいくと物を買えますが、心の平安は買えません。神様は私たち家族にその平安をくださいました。

=今年の初旬に命の脅威をうけたほど、大きな苦難にあったと聞きました。どんな状況でしたか。

ラクシパ牧師;私たちがここで礼拝をささげることに対して不満を持つ方たちが、日曜日夕方の礼拝を終えた時間に訪れました。とても多いかずでした。彼らは私の娘を外へと出して、私夫婦二人を殺そうとしました。私たちはその瞬間すべてをあきらめて、彼らに福音を伝えました。

私は、あなたたちが望むなら復員を伝えると叫びました。彼らが私たちに暴行を加えましたが、神様が奇跡的に命を守ってくださいました。しかし私たちは続けてイエス様の名を持って彼らを祝福しました。心に勇気が生じました。私たちがこの世で神様のために生きるのも祝福であり、死ぬのも祝福であることが信じられました。私たちが死ぬとすぐ天国へといくからです。

殺そうとする人たちに福音を伝える

=その後は大丈夫でしたか。

ラクシパ牧師;その次の日曜日にも仏教の人たちが尋ねてきて、礼拝を中止させられました。しかし神様は外部の人たちをひとりも教会のなかに入れないようにしてくださいました。神様がここを神様の命の包みで保護してくださいました。いくつかの家庭がこの事件で離れることになりました。しかし礼拝をささげない日はなかったです。神様がいつも私たちと共にいるとの信仰が私たちの心を強くしてくださって、神様へすすむようにしてくださっています。

ウェルマさん;彼らに囲まれて命の脅威を受けたときには実に何の感覚もありませんでした。時間がたっていまも大丈夫です。時々悪い感情や考えが生じたりします。しかしそのとき私たちができるのは、イエス様の何によって許して忘れることしかないです。私たちは神様に仕えられていて、それが私たちのやるべき仕事です。

神様によって清い家族として回復

ラクシパ牧師;私たちが迫害と脅迫を受けましたが、私たちはそれをとても誇りにおもっています。なぜならばそれが神様に栄光であり、天と地の神様のためにうけることだからです。イエス様の名のために受けた迫害は私たちには大きな祝福です。私たちはその信仰があります。

私たちはいま道を歩きながら会う人たちに福音を伝えています。どこでも伝道しに行きます。来る人は多くないけど、信仰を持って福音を伝えています。私たちが福音を伝える理由は、それが神様の命令であるからです。

=こんな両親と共に住んでいるジェニさんにとって神様はどんな方であるか、またどんな夢を持っているのか聞きたいです。

ジェニさん;神様は本当に豊かな人生をくださいました。私の人生に神様が恵みをくださって、どんな教育とか教師の助けがなくても、ギータとオルガンを演奏するように導いてくださいました。私が受けたその恵みを思う存分分かち合いたいです。私は神様を知る前までは法律家を夢見ていました。

しかしいまは青年の指導者として神様に仕えたいです。青年の指導者はこの世で一番偉大な職業だと思います。神様は私を次世代に仕える牧師として命じました。

編集者;インタビュを終えてラクシパ牧師家族と共に切に祈りました。スリランカの復興と、そしてついにこの世にすべての民と人種のなかで、主の名が呼ばれて礼拝がささげられる日が来るまで、私たちみんなは信仰の道を各自のところで、従順の道を歩めるように主の恵みを求めました。

[GNPNEWS]

C.K

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