▶2011年当時、モスル市の為に祈っているアウィリ(出所:オープンドア宣教会)
福音を伝え殉教したアウィリの話
殉教者が最も多く発生する国の一つであるイラク。このためイラクは海外に逃げ出すクリスチャンが最も多い国として知られている。しかし、この地を去らず福音を伝え2012年、殉教したクリスチャン、アウィリについての話を米キリスト教放送であるCBNニュースが伝えた。
アウィリとレベッカは20余年前、結婚をしてチグリス川の西側の都市であるモスルで三人の子供たちを育てながら生活した。アウィリは本来カルデアン正教会を信じる家庭で育ったが2009年、福音主義の家庭教会に通い始めた。その後、彼はイエス・キリストへの火のような信仰を持つようになった。
未亡人、レベッカの言葉である。「夫がイエス様を心から信じ始めながら、以前とはあまりにも違う人となりました。夫はまるでダイナマイトのような強力な爆弾のようでした。」
一日に三時間ずつ祈りながら伝道
彼女はまたこのように振り返った。「夫は一日に三時間ずつ祈りました。午前0時から午前3時までです。しばしば私を起こして一緒に祈りをするよう求めたりしました。そして夫は聖霊に満ちるように切に祈りました。神様はまた夫に病気を治す賜物をくださいました。それで夫は病人の為に祈りました。」
アウィリはだんだんムスリムにイエス様を伝えたがった。実際に彼は福音を伝える為にモスクに入ったりもした。そして彼はムスリムの暴徒たちによって多くのクリスチャンが殺害されるイラクで最も暴力的な都市であるモスルの為に常に祈った。
2012年1月から3月の間にアウィリは遂に7人のムスリムをイエス・キリストのもとに導いた。そして彼の初改宗者たちを家に連れて来て彼らの足を洗った。
アウィリの度胸のよさは極端主義のイスラム主義者たちの注目を浴びた。アウィリはムスリムに福音を伝えるなという警告を何度も聞いた。結局、アウィリは2012年3月19日、拉致された。そして3日間、拷問を受け9ヶ所に銃傷を負って殺された。
レベッカは「葬式の時に牧師が棺を開けてみないほうがよいと言いました。でも私は夫の顔を見たいと言いました。棺を開けたら、驚いたことに夫は笑みを浮かべた顔でした」と言った。
引き続き彼女は「周辺の多くの人たちが夫を殺した人たちに向かって、よくない話を多くしました。しかし私はその言葉を聞き過ごしました。私は私の夫を殺した人たちの為に祈っています。私はイエス様の為に喜んで命を捧げた夫にとても誇りを持っています」と自分の信仰を告白した。
一つの教会で10年間1000人が殉教
一方、バグダッドにある聖ジョージ教会では過去10年間、1000人を超える聖徒たちが殉教した。しかし教会の指導者であるアンドリュー・ホワイトは、このような危険にもかかわらずバグダッドを去る意向が全く無いと言った。
ホワイト牧師は「1990年代半ばにはバグダッドだけでも120万人のクリスチャンがいた。しかし今は100万人以上のクリスチャンがイラクを去った」と言った。彼は聖徒たちに「私はここを去らない。代わりにあなた達も私を去らないでほしい」と言ったと付け加えた。