私たちは始めからイェス様の者として作られました。

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‘はなはだ良かった’(創世記1;31)。神様が人と万物を創造してくださって、その作りものを見て大きな満足と幸せで言った御言葉です。神様は自分が作った万物に対してとても満足し、喜びました。

能力に限りがなく、知恵に終わりがなく、間違えと失敗がない神様が作ったこの世は、美しさ、そのものでした。さらに神様の形で作られた人は言うまでもない完全なる神様の傑作でした。

それだけではなく、被造物である人間は、創造主である神様との愛と喜びの交わりを分かち合うために自由意思をいただきました。その自由意思は、神様を愛することもあるいは拒むこともできる完全な選択、つまり誰かの強要とか義務によるのではなく自発的な愛が出来る権利を意味します。

しかし人間はその権利を神様の御言葉に従うことで、神様に対しての自分の愛を現すより、サタンの欺きにだまされて罪を犯して神様を裏切りました。その結果、神様と愛することも、喜びを分け合うこともできない関係になって、エデンの園から追い出されました。罪の結果は死です(ローマ書6;24)、したがって人間は永遠に死ぬしかない絶望の状態に置かれるようになりました。

しかし神様は人を作る以前にひとつ驚くべき計画を持っていました。それは人を創造するがどんな代価を支払っても、清い神様と人との愛と喜びの交わりが断たないようにしたことです。

それで聖書はみ子、イェス・キリストにあって、人を創造する前から選択したと宣言します。

御前に清く傷のないものとなるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び (エペソ人への手紙1:4)

イェスさまは罪を犯した私たちが支払わないといけない死の代価を全て支払うために、自分の命を十字架で割れました。そしてイェス様は自分の命の代価を支払い、私たちを買いました。したがって私たちは‘イェス様のもの’です。私たちの価値はイェス様のようです。

[GNPNEWS]

資料提供 : ティエンアルミッションコミュニティー

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