“お祈りのマラソン, 主と共でうれしいです”

Date

2014-03-08

神様のみ心で祈りたくて志願した仲介祈祷学校。ただ私の熱心と義で祈っていた塔が一週間一週間崩れていきました。そして祈りとは何か、またどんな存在として祈らないといけないのかを知った6カ月間の‘マラソン’でした。

お祈りを学ぶ学校ではなく、お祈りを捧げる学校だと言われていましたが、実際そうでした。毎週の月曜日。学校から帰ってきて祈祷24・365といろんな仲介祈祷する課題をもって一人部屋に入って祈り始めました。

そうするとその週に習った先生たちの講義内容が浮かんできてすこしずつ違っていくのを経験しました。

まず根気強く生きている自我は死んで、私の中にいるイェス様が祈れるように主人の場を、王の場をさし上げられるようになりました。それでめちゃくちゃだったお祈りがみ言葉と祈祷へと変わり、この祈祷が実際に成し遂げられるだろうとの確信と信仰へと変わりました。驚くべき変化でした。講義の時間に聞いた‘お祈りの時間は自我が徹底して死ぬ場であり、また自分が死んでないと祈れない’との言葉は本当でした。従順してみると、実際にお祈りは私が死なないといけない事でした。福音が実際に信じられるとお祈りが働く事を経験しました。 

二番目、私ができることがなくて本当に祈りだけ行う者へと変わりました。以前には変わらない家族のために苦しくて悩む時にはよく感情を現して怒っていました。しかし今はただ一人部屋へ入って神様が働くように祈りの場で自分を出しています。そうすると家族ではなく私が変わってきます。地獄に行くしかない罪人を救ってくださった神様の前で、私が誰かを判断できる者ではないことに気付いたら、家族を愛するようになり、理解してあげることができるのを今も経験します。

教会でも働く時の態度が変わりました。いつもマルダのように何か目に見える働きに集中して、他人の認めと注目をもらうためにしていたのが変わりました。いまはお祈りによって私の無能さを正直に告白して、神様の全能なる力を求める仲介者になりました。以前には喜べなかった自由を、いまは持っています。

三番目、お祈りの内容が変わりました。望みこと、問題解決のためのお祈りではなくて、ある時からは神様の国の復興と宣教完成のために祈る者へと変わりました。私としては絶対に出来ない告白が溢れて来て、神様のみ心がいつか私の心になって共に喜び、嘆くようになりました。

マラソンに比喩していた仲介祈祷学校で、お祈りの本当の意味を知る過程が楽ではなかったです。しかしその瞬間を過ぎれば、その苦痛とは比較できないほど満たされて、感激できるイェス様と復活の喜びが待っていたので、耐え続けました。仲介祈祷学校は終わりましたが、人生のお祈りのマラソンは決して終わらない、終了もない事を知っています。イェス様と走る喜びの時間を許してくださって感謝します。

[GNPNEWS]

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