失われた原型の人生を生きるように再び振り返ってくださった神様の驚くべき命と救いの真理が、この聖書にある。
神様の恵みと祝福の中で、神様が私たちに言ってくださる事実は本当に胸さわぐ祝福である。エデンでは神様が直接言ってくださった。アダムとエバは神様の清い形をそのまま持っていて、神様の御声をそのまま受け入れられた。
み言葉を聞いて、信じようと努めなくてもよかった。しかし彼らはただ一つの禁令をやぶって、神様が自ら言ってくださる道を塞いだ。命のみ言葉をもうこれ以上直接聞く事ができなくなった。
しかし神様が私たちを愛してくださって、尊く見てくださっている。その確実な証拠は、私たちに言ってくださることを諦めないことである。
石の板に刻んでくださった十戒を見ても、守られない存在的な罪人を生かそうと言ってくださる聖子、神様が肉親になって、私たちのように生きて、死んでくださった。そして復活して、昇天して、聖霊を送ってくださって、人がみ言葉で生きられる道を開いてくださった(申命記8;3)
このお話が記録された聖書こそが奇跡の本である。数多くの本の中での一つではなく、永遠に存在するみ言葉である。(第一のベテロ1;24)
サタンは聖書が神様のみ言葉だということを、隠そうとあらゆるわざを行っている。いまもサタンは神学者、人本主義者、科学者などを通して、教会から神様のみ言葉を奪おうとしている。
しかし記録された聖書を保存して、その聖書が私たちの手に入れるように摂理してくださった。聖書の伝達過程だけを見ても、命をかけないといけなかった。韓国の地に聖書を伝えるために来た若いトマス宣教師は、聖書1冊渡せるまもなく、首を切られた。
いままで殉教した人たちの血をインクの代わりにして聖書を記録したとしても、歴史上存在した全ての聖書を印刷できるほどである。私たちの手にある聖書、自体が神様の奇跡である。
そして渡された聖書が読まれるまで、またどんなに長い時間がかかったか。
天国と地獄が遠いように、聖書と私たちの心は遠い。み言葉が私たちの心霊に届くまで、どんなに不可能な過程を経たのか知る由もない。
このように与えられた神様のみ言葉は、歴史の秘密、霊的実体を完全に現す。霊的世界を理解できずには、現実世界を正しく理解することなどできない。
歴史は現れて見える時間の配列、事件の反復ではない。歴史はあの方の話である。だから神様を知らないで歴史を理解するのは不可能である。聖書だけが霊的政界の秘密を現す。
二つの柱を掴もう!
真理の聖書と、暗黒の勢力を現して崩す十字架の復活の能力、この二つの柱を掴まないといけない。これを教えるために十字架の福音を聖書に書いてくださった。
この世には二つの国が存在する。神様の国と、サタンに属した世の国である。聖書が言っている世の国は、神様の統治と真理から外れた全てを言う。
神様の国は世の国とは決して混ざらない。しかし愚かなサタンが支配する世の国は、神様の国に対して本性的に敵対的であり、神様の国のように偽装する。
光の天使の姿で偽装する。外側から見ると世の国が勝利するように見えて、主導権を持っているようだが、世の国は寄生する国にしかならない。
だれがだれを気にするべきなのか。
しかしいま教会が世を気にしている。どうして教会が十字架と福音を恥じるのか。十字架、罪、裁きに対してどうして話せないのか。
福音を変質させた世代で罪人が楽に聞ける説教は、イェス様が伝える説教ではない。イェス様の説教は空しい世の貪欲で満ちた罪人たちが聞けない難しいメッセッジだった。
悪魔たちが恐れて叫ぶほど、神様は義と光で満ちていた。ですので神様の国は世の国を気にしてはいけない。
私たちの戦いは血と肉のものではない。態度をはっきりしなさい。歴史の運命を決める清い戦争に招待されたのだ。福音をうけたというのは、感想的な事ではい。
国籍を移すことであり、身分、存在、所属が変わることである。真理を結論として選択する瞬間、暗闇はじっとしない。だから主にあって、その力の能力で強くなり、聖霊で満たそう。
これから血と肉の戦いは終わらせないといけない。サタンに台を渡せていた全ての余地を絶たないといけない。主人をはっきりして、周辺を整理しよう。
サタンは欺く者であり、嘘つく者であることを記憶しよう。サタンの権勢は十字架の福音で破れて現れる。神様が全ての状況で行うのである。
罪と死から命の聖霊として救ってくださる神様に進もう。
<巡回代表団 代表>
2013再び福音の前へ メッセッジ要約
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