“路上での福音説教を通してもっと新しく恩恵みをいただいています”

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都市の真ん中で福音を叫ぶ’イ・ミョンジク伝道師      

ボクシングの有望者、TV報道活動などの自分の成功のを追及して走ってきて、人生の空しさと存在の絶望で事故放棄の状態で、十字架の福音に出会った青年イ・ミョンジク。以後神学を学んで伝道者としての人生を生きる彼は、神様を思うたびに興奮して心臓がドキドキすると告白した。いまは‘ただ従順’の心でガンナンの都市の真ん中に教会を開拓して、道端で福音を宣布している。福音を叫べば叫ぶほど、自分自身が罪人であることと、そんな自分に福音と信仰を与えてくださった神様の御恵みに感激しているイ伝道師に会った。

– もしかしてクリスチャン家庭で生まれましたか。
“いいえ。仏教信者だった親の元で育てられました。幼い時は寺によく行きました。いまも香気漂う仏堂を覚えています。親と一緒に占い師にもよく会いにいきました。それでも幼い時には宗教に関心がなかったです。”

-しかしどうして宗教に対して関心を持つようになりましたか。
“中学校の時、家庭に苦難がありました。私はその苦難を抜け出そうとボクシングを始めました。世界チャンピオンになれば、全ての苦難から抜け出せると思いました。夢を持って本当に熱心に運動しました。高校1年の時には地域で優勝するほどの成果もありました。しかし高校3年の時、あごの関節と腕の肘の負傷で運動を辞めるようになりました。たぶんそんな絶望を経て、信仰の道へと一歩進めたと思います。 ”

-運動をやめた以後はどのように過ごしましたか。
“望んでいた大学にも行けず、失望していた時、知り合いを通して劇団に入ってミュージカルを始めました。演劇もして、運動選手としてかなえなかった夢を俳優として叶いたかったです。その後ある企画社に入って有名ドラマにわき役として出ました。その仕事も熱心にしました。しかし企画社がつぶれてしまってやめました。”

福音と魂が初めてぶつける

– 容易くない時間を過ごしたんですね。
“その時から深刻に彷徨って放蕩な生活を送りました。運動してすこし放送に出た事で高慢でした。その後、‘私はこれからどうなるのか’と思われて、空しさと死に対しての恐怖が押し寄せてきて、何もしたくない状態になってきました。それが神様に出会える前までの私の人生の姿です。”

-そんな苦難の時間の中で一番記憶に残る部分にありますか。
“ボクシングの試合中で一回もちゃんと叩かれてダウンしたことがあります。その時始めて死を経験しました。私の今までの人生が本当に映画のフィルムのように浮かびました。怖くて悲しかったです。すべての傷と痛み、空しさと恐怖そして恐れが寄せ押しました。その後も恐れがたびたび寄せ押しました。そして放送の仕事をする時には人が怖くて、言葉が口から出ない恐慌症が生じました。私が元は明るくて、よい性格を持つ人だったのに、地位高い人たちや周囲の人たちによく見せたい気持ちとよい評判をきにしてから、こんな症状が生じたと思います”

-その絶望の末で神様が魂の渇きを与えてくださったんですね。
“全ての仕事に失敗して失望していた時、お父さんが運営している塾で経理の仕事を始めました。そんなある日、急に神様を知りたい気持ちになりました。そして神様は、マタイの福音書4章19節、‘私に従いなさい’というみ言葉で会ってくださいました。そして親戚中で信仰深いクリスチャンがいましたが、その方の助けとお祈りで神様を知るようになりました。事実その時、教会に通っていましたが、ようやく神様が私を迎えてくださった時間でした。その後、人生が完全に変わりました。”

-福音を出会い、衝撃的な内容がありましたか。
“イェス様に出会って単純に感激と感謝で生きました。神学校へも行きました。その中、ある宣教団体の訓練学校を通して‘イェス様が死んだ十字架が、私が死んだ十字架’という福音の真理に始めて私の魂がぶつかるようになりました。その真理を通して罪がどんなに怖いかをはっきりと知る時間であって、私が持つ福音が完全な事ではないと思いました。本当に衝撃で戸惑いました。罪に対して怒る神様がどんなに事実であったのか、本当に怖かったです。以前には死に対して茫然とした恐れと恐怖がありましたが、その死の実体が何であるか正確に分かりました。その死は神様の永遠の怒りでした。そしてその怒りの前に立っている私の存在が感じる恐れが本当に怖かったです。”

み言葉のままに生きていかない恐れと恐怖

-神様を敬愛することが現実になる時間でしたね。
“その後、悔い改めと信仰に対して深く考えるようになりました。今も罪悪な考えをいだくと、神様の叱責を感じます。神様の怒りと公義で怖くなります。み言葉に従順しない時の恐れ、み言葉なしでは生きていけない恐れがあります。私にはみ言葉のままに生きないことが恐怖であり、恐れです。”

-最近教会を開拓したと聞きました。
“事実上、教会を開拓したというより、神様の強権的な恵みによって開拓をされたんです(笑)。その前までは副牧師としてある地域教会を担当しましたが、去年ある生徒さんの事務室で初めて、いまはお父さんが運営している塾の傍らで礼拝をささげています。”

-教会に対して話を聞かせてください。
“青年中心の教会です。十字架の福音を主にして、その福音を宣布する宣教を行う教会です。そして福音はかならず共同体を形成して、共同体を経験しています。それで名を‘福音共同体教会’としました。普通は略して‘福音教会’と呼んでいます。

以前にはお友たちがお家に来るのを嫌がっていました。不便であり、汚くなるからです。しかし共同体に対しての挑戦をいただいて家庭を完全に解放しました。今は生徒たちと共に家族のような共同体ではなく、家族である共同体として共に過ごしている事自体が幸せで感謝です。”

家族のような共同体ではなく、家族である共同体として福音を生きる 

-教会共同体の性格を簡単に説明してください。
“福音が抽象的で、観念的なことに留まってはいけないと思います。それで続くて福音を分け合って、伝えて宣布する事を反復しました。短時間内では変化が起きなくても、失望する必要がないと思います。福音はとてもすごくて、簡単なことではないからです。

しかし青年たちの中では神様以外の、自分たちが依頼してきた土台を自発的に崩すことが起こりました。一人、二人、安定的な職場とか学校などを下して、神様だけを依頼する事を決断して、宣教師として献身する事が起こり始めました。み言葉のままに生きようとするそんな動きが、お互いに大きな挑戦と慰めになっているようです。”

-福音教会に仕えて、与えられたみ心がありましたら教えてください。
“神様がガンナン市の真ん中でこの教会を立たせた理由があると信じています。この地域は数多くの塾が密集したところです。高額の個人塾も多くあります。小学生が塾12か所を通っています。なおさらストレスによる精神科診療をうけている子供たちも多いです。いままでここにいて、本当にかわいそうな子供たちに多く会いました。自殺する子も少なくありませんでした。

実際に自殺を失敗した直後に塾に来た女子中学生に会って、福音を伝えた経験もあります。定期的に教会の近所の百貨店の前で道端説教をしています。特に通り過ぎる子供たちに‘貴方は宣教するために塾に通っているんだよ。希望はイェス様しかいないよ’と叫んでいます。”

-道端での福音説教をしていただく恵みを教えてください。
“この地域の復興のためのみ心を与えられて、道端で福音を叫び始めました。神様は公義であり、清く、罪に対して怒る方であります。私たちは罪びとであります。十字架の福音を宣布しています。笑って過ぎ去る人もいて、不愉快に見る人もいます。ある日は警察が来てすこしだけ静かにしてくれと言われて席を移した時、隣にいた果物屋さんのお婆さんから‘どうして早く帰るの?’と言われました。私を応援してくださっていたんですね。道端で福音を宣布する事を通して、福音の恵みを新たに気付かされています。”

-これからの期待とかお祈りの課題がありましたら言ってください。
“福音教会が福音を共同体として生きて福音を宣布する教会になるように祈ってください。そして勉強と成功に縛られて生きているこの地域の次世代が、神様の国の復興と宣教完成に向けて走っていく宣教師たちになるようにお祈りをお願いします。”

[GNPNEWS]

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