十字架の福音で十分なユン・ソクジュ宣教師 ‘私が貴方たちに命じた全てを教えて守るようにしよう’というイェス様の地上での命令に従うために、共に集まって共同体で生活しながら、呼ばれる全ての現場で礼拝する宣教団体がある。ユン・ソクジュ宣教師が代表として仕えているウィド・ゴットミニストーリーは、‘音楽的才能ではなくて、十字架の福音が唯一な礼拝の根拠’だと大胆に告白する。 華麗であるが、放蕩だった作曲家の人生と、大型教会での礼拝を担当して経験した絶望を通して、音楽的才能ではなく、ただ福音だけが礼拝の根拠であると気付いたユン・ソクジュ宣教師に会った。 – 作曲家として活動しましたか。 ‘青少年期にお母さんの病気で辛さを経験しました。家庭状況が大変になり、サッカ選手の夢が挫折して、内的な彷徨を経験しました。その時、音楽に深くおぼれていました。その中20代初半に偶然作曲家の生活が始まって、ひと時うまくいきました。その後、私が企画したアルバムが完全な心配作として判明されて、全ての夢が水の泡のようになくなりました。なおさら周辺の誤解をうけて、再び作曲家としての活動をまったくできなくなりました。それで望んでないが、すべてを下さないといけなかったです。’ – 大変な時間を送ったんですね。 ‘大変でしたよ。よく分かってなかった神様にも急に恨みました。アルコール中毒が酷くなって、自殺を考えました。そして周辺を整理していましたが、親に対して申し訳ない気持ちになりました。それで’どうせ死ぬんだから、親孝行でもすこしやってから死のう‘という思いで、親の家で住み始めました。そしてお父さんについて行った夕方礼拝の時間に、神様が私に訪れてくださいました。’私があなたを長く待っていて、貴方を愛しているよ‘とはっきり言ってくださいました。とても胸がいっぱいになって泣きくずれました。そのようにして神様が生きていることと、私を愛してくださっていることを悟りました。その時から教会に通いました。実際に’帰って来た放蕩、ユン長老の二男は狂った‘という噂があるほどでした(笑)’ – そのように始まった信仰生活に辛いことはなかったですか。 ‘1年はとても幸せでした。しかし2-3年になって分かった絶望的な事実は、私が聖書が望むままには生きていけない事でした。まるで火事になった家で非常口を見つけたが、抜け出せない感じでした。とても辛かったです。その中、ある日、作業室で聞いていた説教を聞いていました。まるでハンマで耳を叩かれたような衝撃的なみ言葉でした。つまり十字架の福音に対しての説教でした。その日作業室で悔い改めて、この十字架にたいしてもっと知りたいと望みました。そして2005年に十字架の福音が私の人生の結論になりました。’ 現実は抜け出せない非常口… – ‘十字架の福音は人生の結論である’という言葉をもっと説明してください。 ‘一語で、’私は死んだ‘ということです。十字架でイェス様と共に私が死んで、これからは私の中にイェスさまが生きていて、私の人生をイェス様が計画したままに導いてくださることです。事実以前に罪悪と放蕩でいっぱいだった、’ゴミ‘のような人生を生きていたので、私が罪人であることを認めるのは当り前でした。しかしそんな罪人である私を神様に捧げたいが、答えを知らなくて深い渇きがありました。ついに確実な回答を得ました。’ – その後にはどんな歩みを歩みましたか。 ‘私が音楽をしたので、音楽で私の人生をささげようという考えはまったくありませんでした。私はもう死んだので。。しかし賛美の働きをするようになりました。それも’大型教会‘でです。その時は神様が導いてくださったという信仰で始めました。’ – 教会で賛美の働きに仕えていて感じた事がありますか。 ‘私は深く絶望しました。実は福音の真理で、私の人生が具体化されて実在になる過程がなく、専任担当者になりました。私ができることではなかったです。青年たちとぶつかりながら、福音のために、神様のために生きていましたが、振り返ってみると隠された罪悪の姿がありました。目に見える罪の実はなかったですが、まだ私の満足と有益を追及する罪に直面するしかなかったです。’ – そんな状況でどんな態度を持ちましたか。 ‘私の中に矛盾と葛藤が深くなる2011年の年末に、神様が私の全てを崩してくださって、真理の中で新しくなって、ただ神様一人だけを残してくださるように祈りました。しかし本当にそうなりました。2012年になって、教会内でいろんな事件が起こって、雰囲気が自然と私に賛美を働きを含めたすべてを下さないといけない状況へとおっていました。そのように実際に全てが崩れていて、主の働きに対しての欲張り、未来に対しての恐れ、いろんな不純な考えと動機、こんな私の中にある汚い物が全部現されました。もっと深い絶望を経験しましたが、同時にとてもうれしかったです。’ 完全な絶望の状況で 喜びが訪れてくる – そんな状況でどうして喜ばれましたか。 ‘私に福音が結論だという事実を確認できました。新しい次元の絶望の中で、再び福音の前に立って見ると、’このように希望のない私にも十字架の福音だけで十分である!‘という結論を再び握ることができたんです。’ – 教会の働きを辞めた以後の生活をおしえてください。 ‘神様が私を再び福音の前に立たせてくださった時、’貴方は本当に私だけで十分なのか?信仰だけで生きていけるのか?‘と聞きました。私は選択の余地がありませんでした。’アーメン‘でした。そうすると神様が、’人を依頼せず、私が導くままに生きろ‘と言ってくださいました。そして全てを整理して、神様の導きだけを求めている中にここへ来るようになりました。現在住んでいるこの家は廃家でした。 しかし修理して掃除ました。その時、娼妓のような私をキリストの新婦として、荒廃の地を水溢れる園のように返ってくださったように、ここで神様の恵みを感謝するようになりました。そして WithGodという宣教団体を始めるようになりました。’
– 完全に新しい出発でしたね。 ‘去年末から神様がゆるしたここで、お祈りと礼拝で時間を過ごしていましたが、まずウィドゴットという名を下さって、宣教団体に対しての考えを持つようになりました。時間が流れて今年1月1日の新年礼拝をささげる中に、マタイの福音書28章19-20節のみ言葉を通して、すべての民族を弟子にして、彼らに福音を教えて、その福音を守って行うまで仕えて、彼らが福音を下さった神様を礼拝するために、条件なしの使える団体として呼んでくださいました。’
– ‘ウィッドゴット’に対してもっと詳しく紹介してください。 ‘私たちは礼拝の協力者を訓練して送る宣教団体です。’貴方たちは言って全世界に神様を礼拝するようにしよう!‘という使命をいただきました。福音を知らなくて、礼拝するのは不可能であるので、まず福音を悟り、訓練をうけて、送られて人生をもって神様を礼拝する宣教師として召されました。’
– ウィッドゴットの全担当者たちが共に共同体生活をしているんですか。 私たちの団体の使命である福音を教えて守らせるためには、全生活を共有しないといけないという結論に達しました。言葉で福音は教えられますが、実際に行う部分は生活の領域だからです。言葉と生活が分離する矛盾に陥らないようにするために、共同体で生活することを決めました。事実以前から自ら信仰を守れなくて崩れてしまう自分自身と周辺の聖徒たちを見て、共に住んで信仰としてお互いを支えあう共同体が必要であると思っていました。‘
言葉と生活の一致を望んで 共同体を始める
– 最近神様が導いてくださった旅程を紹介してください。 ‘先月7月にロシアのある自治共和国にいってきました。現場の宣教師たちを通して、’礼拝者学校‘に仕えるよう要請がありました。そこで、‘礼拝の技術’を習いたい現地人らを対象に大部分の時間を使いました。始めは宣教師と現地人ら、みんな不便に思いました。それでも十字架の福音が結論であるので、最後まで福音を伝えました。結局現地のキリストたちの心を開いて、十字架へと導きだす驚きの歴史を目撃する恵みをいただきました。神様がなさいました。‘
– 最後に祈祷のタイトルがありますか。 ‘目に見える成就と成長より、ただ神様のみ心だけが満たされますよう願います。神様のみ心の中ではいくらでも滅びて、崩れられると思います。それで私たちウィッドゴットが神様のみ心だけをなす団体になりますよう、祈ってください。’
[GNPNEWS]