“荒れ地になった災難地域の教会で一人で神様に礼拝”

Date

2013-12-16
津波被害で政府が支援してくれた仮設住宅に住んでいる住民たちの姿

東日本の大地震以後。。。福音に心を開く日本人増える

2011年東日本地震および津波による死亡者数はおよそ1万9000人に至ると集計された。財産上の損失は直接被害額だけで16-25兆円(神戸大地震9.9兆円)に推定された。

このように目に見える被害は大きい。しかし私たちは主にあって、このような災難を許した神様のみ心を分別して、苦難を有益な結果へと導く神様を信頼する。

神様がいつも喜んで感謝しなさいと命じたが、災難の現場で助けられた被害者たちの口から、感謝の告白が泉のようにあふれ出ていた。

海辺にあった船たちが倒れて流れ出た燃料に火がついて、火海になっていた気仙沼市。2年が過ぎた6月下旬、所有していた2億円相当の船を失った三浦徳雄さんを災難救護チームと共にあった。

福音に耳を傾ける罹災民ら

 ‘私たちの村に400名程度住んでいました。いまは300名くらいが生存しています。人口が減ってきてつらいです。共に出来ることが多いのに、できない。いままでボランティアたちの助けを受けるとは想像もしてなかったです。私もこれからは他人を助けながら生きたいです。’仙台愛の教会(安ジュンシキ宣教師)の救護チームの2年目に続く訪問をうけて、堅かった船人の三浦さんの心もやわらげになった。

この教会チームは次の週、福音がある音楽コンサートを予定していて、コンサートの広報チラシ配布を彼にお願いするほど良い関係を持っていた。

一時的な喜びではない、永遠の喜びの知らせである、福音の知らせを聞けるこころを罹災民らで起されていた。これまで福音の荒れ地として知らされていた東北地域で、このように公開的に福音が宣布されて、伝道活動ができることは以前の時代状況から想像できない現状だと言われた。

1年に何回ずつここの災難地域を訪問する在米韓国人のオ・シハン宣教師。現在会計士として活動している彼は、青年期に日本留学の経験で、流暢な日本語で彼らに仕えて福音を分かち合っていた。

日本人牧師と共にチームを組んで、仮設住宅で罹災民たちの中で、福音を聞こうとする人たちを対象に聖書勉強をしている。

 ‘彼らがどのように反応するかは神様の働きである。私はただ私ができるところまで、彼らに福音を伝えて、神様に会えるように基礎作業を行っているだけです。’と言う。

また現地の働き人を通して災難地域の仮設住宅を訪問、福音を伝えている日本人の牧師もいた。彼は救護物品と共にかならず福音を伝える時間を持っているという。

このように多様な日本の教会と宣教団体らが彼らの地域に仕えている。

仙台には日本キリスト教団が設立した非営利団体エマオが、3年間災難地域に救護物品を通して神様の愛を伝えている。

エマオの松本先生はこのように言う。

 ‘地震以来、日本の教会らが連合するようになりました。始めは仙台の近隣の聖徒ら70名程度が集まって、災難救護のために集まりをしていたが、いまは東北ヘルプという連合機構を通してこの地域に仕えている。’

現在災難地域に仕えている教会および、宣教団体はこれ以外にもいちいち並べないくらい多い。

一方、日本のキリスト教が災難地域に仕えている方法はいろいろある。東一番丁教会の保科牧師は教団が設立した食材の放射能を検査する放射能検査組織を通して、地域住民に仕えている。ここは地域住民らが自分たちが食べたり、供給する肉類や穀類、野菜などが放射能に汚染されているかどうかを検査できる。ただし調査結果は申請者に提供している。

保科牧師は特に、原子力発電所の事故で廃墟になった福島地域の回復のために、そこを訪問している。現在先生が担当している教会には牧師も聖徒もいない。定期的に行って、その地が回復されるのを信じ、管理している。<宮城県=特別取材団>

ボランティアの奉仕によって罹災民たち希望発見

“佐藤真史牧師(東北教区被害支援センター)

日本キリスト教団が設立した非営利団体エマオには現在東北教区被害支援センターがある。

ここで支援対策本部担当幹事で働いている佐藤先生に会った。

-いつから災難地域の働きに携わるようになりましたか。
‘神学校に通っていた2011年地震を経験して災難地域で働きたかったです。その年の7月からボランティアで奉仕して、その後センターからの要請で担当者になりました。’

-災難地域をどのように仕えていますか
‘始めはどこから助ければいいのか知りませんでした。政府機関でもない民間団体として独自的に被害地域に入るのは難しかったです。その中、ある先生の協力で、災難地域へ入って、掃除と復旧作業に参加することから始めて、いまは多くの領域へと拡大しました。’

-災難地域でどのように宣教活動をしていますか。
‘災難地域の関係者らは救差済と救護は望むが、福音を伝える伝道活動に対しては望んでないです。災難地域に入る時、関係者らが福音を伝える行為をとても嫌っています。しかし地域関係者らは、私たちが教会から来ていることは知っています。一部の罹災民らはボランティアの奉仕を通して勇気を得て力を出しています。’

-現在災難地域に仕えているボランティアに数はどのくらい参加していますか。
‘始めは青年層のボランティアたちが多かったです。しかしいまは支援行事が長期化されて、退職者を含めてシニアーの数が少しずつ増えています。しかし全体数は多く減りました。2011年の一年間1887名が参加しました。しかし2012年には1578名で300名が減ってすこしさびしいです。災難地域に仕える働きがこれからも当分続きそうです。お祈りで支援してください。’  [GNPNEWS]

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