“十字架の福音は‘宣教的教会’として新しい夢をみるようにした。”

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み言葉と祈祷の生活のために、教会中心の生き方結成されて教会は宣教的共同体結論。。今年4回のビジョントリップ

“私を変えた福音は教会も変える.”

牧師と聖徒たちが総体的十字架の福音へと回復した以後、宣教的教会に方向を決めて、人生と働きで静かな変化の動きを見せる教会らが現れていた。デグの夢を与える教会(イ ジュンヒ牧師)は、共同体的生き方と宣教する教会として進む従順の歩みを歩んでいる。

‘講壇で十字架の福音が宣布された以後、教会の聖徒たちが多少動揺したのも事実です。教会を離れた方たちもいて、実際に辛さもあって混沌の過程を通りました。’この教会の担任牧師イ ジュンヒ牧師の言葉だ。

いまだにその過程のなかにあるが、神様が望む教会として回復されるとの希望を諦めない。その以来教会の聖徒たちが福音の前に立ちながら、み言葉と祈りの生活のために、教会中心の生活が形成された。自然と自分たちの家財を整理して、集まって住むようになって、3つの共同体が結成された。朝、晩にみ言葉と祈りを始めて2年、本格的に食卓を共にするテイブル共同体として4カ月に入った。その経験を直接体験する当事者としては驚くべき変化だと告白する。

2012年に入って教会共同体の存在の目的は、宣教しかないと結論した。この教会の聖徒たちは今年だけですでに4回のビジョントリップを行ってきた。去年9月には9泊10日の間、中国へビジョントリップに行ってきた。

 特別な日程なしで出発したが、神様が直接中国の韓国人教会での働き、漢族の神学校での働き、朝鮮族宿舎教会での働き、脱北者および北朝鮮への働き、ビジネス働きなど、中国のいろんな地域で起きる神様の宣教が見られる時間だった。今度のビジョントリップを率いたこの教会のジョン ミスク奥さんと、チーム員として参加した教会の聖徒イ ウリム姉妹の告白を紹介する。

‘宣教は私にも起きれることであった、そうでしたね’
ジョン ミスク奥さん(夢を与える教会)

―宣教に対していつから関心を持っていましたか。
‘最近まで宣教に対して全然関心がなかったです。海外に出かける自体が嫌でした。観光をするのも嫌だと思うぐらいでした。

しかし福音のまえに立ってみて、宣教に対しての負担があった時にも‘仲介の祈りで十分でしょう。かならず宣教師で出て行かないといけないのか’と考えて、宣教的存在として生きる人生に対しても、ここで宣教的存在としていくらでも生きていけると考えましたよ‘

―どんなきっかけで宣教に対しての認識の変化がありましたか

‘去年4月の苦難の週に、私たちの教会でネヘミヤ52祈祷が行われました。私がネヘミヤとして仕えました。初の日、迫害を受ける教会たちのために、祈りをして’涙を流して祈ってはいたが、祈りの課題らがなぜか茫然と感じられて、皮膚で感じられないようでした‘という祈りをしたら、とても簡単に答えてくださいました。‘それでは(現場へ)出掛けてみよう’とおっしゃいました。慣れなくて大変な環境が嫌で、口実を言って宣教を拒否していた私を、神様が叱って、結局今年になって三つの国を歩くようになりました。

―どんな所を行ってきましたか?
‘初めの国はインドでしたが、その当時周囲から聞こえる知らせらはすべてインドに関してのものでした。それで’神様がインドへ行けと言っているのかな‘と思い、インドへ行く方法を探していたところ、インドの宣教師さんと連絡がつながりました。そして宣教師さんから‘いつでも来て’という返事をいただきました。しかしすぐ従順できないまま、時間がずっと流れました。結局今年2月に、その宣教師が帰国して、インドへも再び戻る時に共にインドへ行きました。疑う私に神様の完全なる措置が置かれたのでした((笑)。以後6月には日本を、今年の9月には中国へ行ってまいりました。’

―今回の中国のビジョントリップは、すこし特別だったという話を聞きました。どんなきっかけで行くようになりましたか。
‘今回中国のビジョントリップは計画になかった急なことでした。’ここもう一回訪問してもいいのに‘と、中国の朝鮮族の家庭教会のある聖徒と一言葉の知らせが、ビジョントリップの理由の全部でした。9泊10日の期間中、その聖徒を訪問する約束以外には他の日程がない、多少’無責任な‘旅でした。それにもかかわらず、2名の教会の聖徒たちが共に行きますと言いだして、この話を聞いて、一緒にネヘミヤ52祈祷の時間に働いていた他の教会の一人の兄弟が合流するようになりました。その兄弟を通して中国現地でまた違う、ある兄弟が一緒になって、合わせて5名でチームが組まれました。’

―中国の現場で印象深かった話を分かちあってください。
‘9泊10日の日程を神様が自ら導いてくださいました。沢山の事があって、そのことは私たちが先に計画したことではなかったので、本当に特別な経験でした。特に脱北者のための働きをしている方たちの現場を、直接見られた特別な機会でした。’

―その話をもっと聞かせてください。
‘中国のサ―という地域にいる、朝鮮族の宿舎教会に到着した時、最近イェス様を迎えたある兄弟の話を聞けました。福音に出会った以来、命をかけて家族たちのために、とてもつらい決断をした証を聞きました。その内容全部を説明できないが、自分が福音を知って、神様が兄弟を清くしてくださったので、家族たちに福音を伝えるために、つらい決断をするのは、神様が与えた使命だと答えていました。その兄弟の目から堅い信仰が見られました。たった一カ月で一人の魂に、神様が行ったすばらしい働きを見ました。’

―今度のビジョントリップを通してどんな意味がありましたか。
‘今年2012年は教会が、宣教的共同体にならないといけないことを決定して、宣布された特別な始めがあった年です。特に今回の中国へのビジョントリップは計画にもなかったし、具体的な日程もなしでただ信仰で歩みだした一歩を神様が祝福してくださり、責任を背負ってくださったことを直接見せてくださったようです。宣教は神様が導いてくださり、神様が行うことでありますね。

教会の共同体の家族たちは大部分仕事もっていますが、以前には職場をおろして、どこかに行くのは考えられなかったです。しかしいまは‘宣教は私に起こられることである、私もいかないと’という気持ちが沢山生じたようです。‘

―これから計画とか祈りの課題がありましたら教えてください。
‘最近日本の仙台の地域で要請をうけて、一人の兄弟が短期働きに出かけました。いまは宣教地でどんな要請があれば、教会の聖徒たちが’行かないと‘と思っているようです。まだ足りないが、驚くほどの変化が起こった事だけは事実です。どんな形でも本当に必要な所へ出ていけるようになってほしいです。そのようにしてくださる神様を期待します。これから始まるでしょう。’

‘神様の教会が力よく起き上っていますよ’

 ‘一緒に中国行く?’

奥さんの電話に胸がいっぱいになった。
‘アーメン!行きます’

と答えるが、これが何日か前の中国で北朝鮮のための働きをなさる宣教師と交わりながら、‘機会があれば神様がなさることを本当に見たいです’というお祈りに対しての答えであると知った。

財政もなくて、親の許可も不可能のように見えた。しかし‘高いものも、深いものも、そのほかどんな被造物も私たちの主、イェスキリストにおける神様の愛から、私たちを引き離すことはできないのである。’(ローマ書8:39)のみ言葉をいただいて、神様が導いてくださるという確信と期待で平安になった。

ついに中国へ向かう一歩。私たちは神様の強権的な導きに捕えられた。台風が吹いて船が浮かべないようでしたが、ターミナルに到着したら雨がやんだ。広い中国の地で何もできない私たちに、神様は中国に住んでいるある兄弟を合流させて、通訳官にたたせてくださった。

中国に到着すると、思いもしなかった方が迎えに来てくださって、汽車の中で不思議に、私たちが見つけようとしている方に会いに行く執事に会えて、易しく探せた。

私の目で北朝鮮の地域で、神様に出会った証人たちを見て、共に礼拝を捧げる時には信じられなくて感激が寄せてきた。彼らの証を通して、神様のいらっしゃるその日を準備しながら、神様が行けと言えば行くし、止まれと言えば止まる、その純粋な信仰が見られた。

そして朝鮮族、漢族、韓国人の教会ら、宿舎教会、宣教師たちの祈り会、そして神学校にいたるまで、神様の教会が力強く起き上るのが見られた。

中国の地で、神様が導いてくださって歩んだ一歩一歩を通して、私が踏んでいるすべての地で、宣教的存在として生きて行かないというのに気付いた。韓国に到着して、汽車駅に座っていたが、私の目に見える皆が、神様の愛が必要な魂である事実が、ぱっと悟られた。

韓国に来て、二日の間4人の友たちに会い、神様が私に行ったことを分かち合う中、その魂らが福音に反応して熱望しているのを見ながら、私を変えた福音は実にすべての民族を変える能力があることに確信した。

イ ウリン姉妹

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