中国の交通事故現場の姿(出処: dailynews sina キャップチャ)
中国、車事故の時“被害者が確実に死ぬようにする”
アメリカで73年以来堕胎した胎児数、カナダ人口の1.5倍
友達が最近、衝撃的な新聞記事を送ってくれた。中国では歩行者を引いて死なせる運転者に3万~5万ドルの罰金を付加する。
しかし、事故の被害者が障害者になった場合には、加害運転者が被害者の残りの人生の責任を持たなければならない。このように、事故にもかかわらず、被害者が死ななければ運転者は一生を掛けて何百万ドルを支払わなければならなくなる場合も有り得るのだ。結果的に、中国で歩行者を引いた運転者は、男であろうが女であろうが何回もその人を越えて確実に死なせるのが一般的だという。
ここで私達は、人の尊厳性が残酷に踏み躙られる世界観の結果を見ることが出来る。このような現状について倫理学者達は、人生が道具化される事によって現れる事だと説明する。この時、個人の価値は内在する物ではなく、相手に対しては単なる手段にしか過ぎなくなるのだ。
もっと衝撃的な事実がある。アメリカでは1973年以来堕胎で死なれた胎児の数が、カナダ全体人口の1.5倍になると言う。アメリカ人の93%が堕胎を選択的な行為だと考えている。つまり、レイプー、近親相姦などによってできた胎児は、母親の人生とは関係がないので、このような場合は下ろしてもよろしいと思われていることであるのだ。
クリスチャンにとって妊娠される時から自然死に到るまで、全ての人生の本質的な価値を支持する事は本当に大事なことであるだろう。それで、私は、生命委員会(Council for Life)のような団体に大変ありがたい気持ちを持っている。CFLが主管した生命祭りは、FOXニュースのカスディンパワス(言論人)が特集で預かった事もある。CFLはこのように人生を前向きで、楽しくしてくれる。そのような事は、今、両極化されて、否定的な文化の中でとても大切なことであろう。
最近、私達は神様の国の為に、文化に影響を与えられる方法を研究して来た。私達は人に近寄って、探して、理解するように呼ばれた人である事を確認して、彼らを大胆で戦略的に引き集めている。
神様は私達に‘喜び’という感情を与えて下さった。この喜びがどんなに重要な要素であるのかを一度考えて見よう。パウロの伝道旅行の中でマケドニアは微妙だった。出発の時は全てがうまく行くように見えた。ピリピのリーダの中のルテヤが、キリストに会って、自分の家に教会を建てる事に手伝ってくれた。汚れた悪霊につかれた人が自由になって、神様の国が建てられて行った。
しかし、悪霊につかれた者の主人達が管轄当局に抗議したら、管理はパウロとシラスを逮捕して、むちで打たせることを命令した。“何度もむちで 打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には嚴重に番をするように命じた。”(使徒行伝16:23)
使徒パウロとシラスは、この時に祈祷して賛美の歌をうたった。“ 眞夜中ごろ、パウロとシラスが 神に祈りつつ贊美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。”そしたら神様が地震を起こされて 囚人を自由にして下さった。看守は彼らが逃げだと思い自殺しようとした。パウロは大声で叫んで看守の命を助けた。そのことを契機に看守と彼の家族がキリストに会った。パウロは管理から解放されて、神様の御国はますます栄え、広がって行った。
ピリピ監獄での喜びはパウロの遺業として残っている。彼が後で聖徒に書いた手紙には‘喜びの手紙’だとよく言われる。この手紙の中心主題はシンプルである。“いつも 主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。”(ピリピ人への手紙4:4)
苦難な時に顔から出る使徒の喜びは、無神論者に自分の信仰の純粋で完全なのと、自分の神様の信実なところを確信させてくれる。
そのような喜びは、いまも尚、私達聖徒の一番強力的な証拠になる。私達は神様の国のの完成の為に求める時に、私達の魂が自分のメッセージと一致しなければならないのであるだろう。喜楽は‘聖霊の実’の一つである。(カラテヤ人への手紙5:22) 喜びは主が私達の人生の中で働いておられる証拠である。私たちに波が多いほど機会も多くなる。
17世紀ヨーロッパの各国が参加した30年戦争の間に、ドイチの聖職者マーティンリンカートは、自分の家族を含めて一年に4000名の死体を埋めた。その時に彼は賛美歌36章の歌詞‘皆、感謝しよう’を作詞した。
あなたは、今日、何の賛美歌を歌いますか?[GNPNEWS]
ジムデニソン(基督文化評論家)
翻訳。福音祈祷新聞国際チーム。