実を結ぶようになる。
主の命令を守ることは私たちの魂に喜びを満たしてくれる。私たちに永遠の喜びを与えたい主のみ心である。‘わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。(ヨハネの福音書15;11)’
この世には喜ぶ理由がまったくない。しかし主は私たちが悲しみに満ちているこの世で喜ぶようにしてくださる。‘あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。(ヨハネの福音書15;16)’
キリストの中にいる私たちは実のために焦る必要がない。いつも豊かな実を結ぶようにしてくれると主が約束してくださったからである。主は華麗な日にも、悲しみの涙が流れる時にも、艱難中でも、実を結ぶようにしてくださる。
しかし十字架と無関係の実を結ぶのではない。艱難中には喜びの実が、試練の時には心を強くしてくれる実を結ばせてくださる。大変な苦しみと苦難にも和解のお花を咲かせてくださって、不義で不道徳な時代でも正しく主に従うように実を結んでくださる。教会は苦難と試練の時に花を咲かす。主はすべての瞬間にお花を咲かしてくれると約束してくださった。
‘わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。(ヨハネの福音書15;26-27)’
聖霊様はイエス様の命を表わす目的で私たちに来られた。聖霊様は私たちの中でイエス様を証して、イエス様の命をあらわす。私たちの中で主が望んでおられる実を結んでいて、特別な愛の実を結ぶように働いてくださっている。
神様が私たちの中にとどまるという事実をどのように確信できるのか。‘貴方たちがお互いにあいすれば・・・’ イエス様の愛は外に向けている。神様は私たちをどのように愛してくださったのか。主が私たちを愛したように他の人たちを愛しなさいとおっしゃった。主の愛は命を与える愛である。愛は向きがはっきりしている。
神様からいただいた愛、そのままに愛しなさい。主は十字架の福音を伝えて証人になった。教会はどのように伝道すべきなのか。真理が命になって現れた愛が教会である。教会は明快な福音を伝えて、福音の証人になっていきるべきである。主が愛したように愛しないといけない。このように愛する時、私たちが仕える教会が立つでしょう。
‘もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。(ヨハネの福音書15;18-19)’
主はこの世の激しい抵抗に妥協して諦める私たちをこの世に勝利する者へと立たせてくれるでしょう。この世が私たちを憎むならば、むしろ喜びなさい!私たちは主に属しているからである。
これ以上私たちを味方にできない。これからは愛するしかない存在へと変わった私たちのせいで、この世の悪はもっと隠せなくなった。主の裁きが段々近づいている。悪は悪で必ず現れる。
光は暗闇を恐れない。暗闇が濃くなると光はその明るさを増す。この世が抵抗的で、その中をもっと現すと真理の光はもっと明るく現れて、愛の能力ももっと強く働くであろう。この世の憎悪と憎しみがどんなに大きくても、この世より大きい主が私たちの中におられる。真の実、永遠の愛の実を求めよう!かならず実を結ぶようになるであろう。[GNPNEWS]
金ヨンイ宣教師