罪が取り除かれた心の喜び

福音の力 あなたのすべての罪を許してくださった神の計り知れない憐れみに比べられるものが、この世に一つでもあるでしょうか? あなたの罪が許されたのに貧しかったとして何が問題でしょうか? あなたの罪が赦されたのに体が少し病んでいたとして何が問題でしょうか? あなたの罪が清められたのにすぐに死ぬとして何が問題でしょうか? 私たちの罪が許され、死の刺が抜かれたのに「私たちの主イエス・キリストによって私たちに勝利を与えてくださる神に感謝しようではありませんか」(第一コリント15:57)と歌わない理由がどこにあるでしょうか? 私たちは喜ぶべき最高の理由を知っています。「平安という花を胸に付けている人は幸せだ!」というジョン・バンヤンの言葉は妥当です。しかし、その花が「罪の赦し」という花畑でなければ、どこで育つというのでしょうか? 罪を抱えている心は非常に重いものですが、罪が取り除かれた心は羽のように軽くなります。私は罪の意識という良心の重荷を背負うくらいなら、むしろ肉体の苦痛に耐える方を選びます。[福音祈祷新聞] 『主に従え』(C.H.スポルジョン)より抜粋 <著作権者 ⓒ 私の手の中の神の国、真理で世界を開く福音祈祷新聞。出典を記載して使用してください。> 提供および問い合わせ: gpnews@kakao.com