「世の知恵では決して理解できない逆説、十字架!」
神の救いを約束されたユダヤ人たちはそれぞれ自分が望む救い主を心に待っていました。ローマの束縛から解放してくれる革命家、新しいイスラエルの国を建て回復させる政治家、貧しい人々に食べ物を与え世話をする社会活動家。しかし、神が用意された救い主は彼らの期待とは異なっていました。神はご自身の計画通りに救い主をこの地に送り、親しく救いを成し遂げました。唯一その方法だけが私たちを救うことができるからです。 救いを誤解する人々 「神はそのひとり子を賜ったほどに世を愛された。それは彼を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。(ヨハネの福音書 3:16)」 神の救いは逆説的な方法です。十字架の道は世の方法では理解できません。死が命となり、失敗が勝利となる逆説だからです。 十字架の秘密 「女の子孫はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。(創世記 3:15b)」, 「自分の命を得ようとする者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを得るであろう。(マタイの福音書 10:39)」 救い主がかかとに攻撃を受けると同時に、蛇(サタン)の頭は砕かれます。救い主を殺すことは結果的にサタンを殺すことでした。死の力を持つサタンに打ち勝つ唯一の方法は死から生き返ることです。つまり、死が命とならなければ勝利できないのです。生きようとすれば死に、死のうとすれば生きる逆説、それゆえ十字架は秘密なのです。 世の誰もこの逆説的な神の救いの方法を知りませんでした。もしサタンがイエスの死が救いを成し遂げることだと知っていたならば、救い主であるイエスを十字架にかけることはなかったでしょう。 「この知恵は、この世の支配者たちの誰一人として知りませんでした。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけなかったでしょう。(コリントの第一の手紙 2:8)」 [GPNEWS]
[キム・ボム コラム] 傷が愛に出会って
1ヶ月前、満期の妊婦がシェルターを訪れました。彼女の年齢はわずか18歳。長い間道をさまよっていた貧しい旅人のように、簡単には取れない疲れが彼女を覆っていました。 彼女に子どもができた日、子どもの父親は去り、家族は彼女を無視しました。捨てられ無視された若い母親は、妊娠した体でここそこに身を寄せなければなりませんでしたが、どこでも歓迎されませんでした。お腹がどんどん大きくなる中、行くところを失った彼女は、誰かから未婚の母親のためのシェルターがあると聞いて訪れたのです。 ようやく足を伸ばしてお腹の子と一緒に過ごせる場所ができた彼女は、1ヶ月で子どもを産みました。数ヶ月心身共に苦労した母親から生まれた新生児が本当に健康な赤ちゃんでした。誰からも祝福されなかった妊娠でしたが、神の愛が祝福の誕生にしてくれました。 毎日3食、肉たっぷりのわかめスープを食べながら産後のケアを受けている彼女は、体調が整ったら自立のための技術を学び、共同体と共に礼拝をし、福音を聞くことになるでしょう。 シェルターは、一寸先も見えない暗闇のようだった彼女の人生に一筋の光を与えてくれました。その一筋の光は、人生のシェルターである真理の光、イエス様に彼女を導いてくれるでしょう。そう信じて希望を持って、母親になった若い彼女を祝福しました。 1年前、タンザニアのキリマンジャロ山麓の村に保護されない未婚の母親のためのシェルターを建設しましたが、数ヶ月経っても訪れる人がいませんでした。私たちの期待とは裏腹に、イスラム教徒の未婚の母親とその家族は入所をためらっていました。私たちと共に暮らすためには、キリスト教式の礼拝を行い、コーランではなく聖書を読む必要があり、私たちが彼らの宗教であるイスラム教を認めないからです。 キリスト教徒になることを恐れた彼らは、路上で子どもを産むことはあっても、私たちの助けを受け入れようとしませんでした。シェルターが建設されれば、助けを必要とする多くの未婚の母親が訪れると期待していた私は当惑しました。シェルターがイエス・キリストの福音と愛を伝える前哨基地であり、生命の拠点になると思っていたのに。 結局、私が韓国に戻る日まで、誰もシェルターを訪れることはありませんでした。もちろん、神の時に神の方法でシェルターが必要な人々を送ってくださると信じていましたが、その時がこんなに早く来るとは思いませんでした。 帰国して間もなく、教会の信徒が若い姉妹と一緒にホームレスの若い母親をシェルターに連れて来たという知らせが伝えられました。読み書きもできず、数字も知らない幼い知能の彼女が、どうして幼い姉妹と一緒にホームレスになったのか詳しい事情は分かりませんでしたが、適切な治療を受けられず腐っていく足の傷が彼女の事情を代弁しているようでした。 その傷ついた身体と心がシェルターで愛に出会い、回復中です。傷を癒した愛は、彼女のように闇の中にいる誰かに福音の光を与えるでしょう。 私の人生も同様でした。昔、私も彼女たちのように一寸先も見えない暗い道に立っていた未婚の母親でした。韓国にある多くの未婚の母親センターの助けを借りたかったのですが、彼らの助けを受けるためには養子縁組が条件でした。子どもを育てようとする未婚の母親を助けてくれる未婚母センターはどこにもありませんでした。 自分の子どもの母親になりたかった私は、子どもを育てるという理由でさらに行くところがなくなった未婚の母親になりました。一歩も動けなかった暗闇の中で、ようやく見つけた一筋の光が修道院が運営するセンターでした。 当時、神を知らず信じていなかった私は、彼女たちが見せてくれた全身全霊の献身と配慮と愛で、イエスが誰なのか少しは知ることができました。 私の人生の夜に愛の星が昇る時間でした。 そのようにして生まれた子どもは、後に私を伝道した私の伝道者となり、神を知るための通路でありメッセンジャーとなりました。 子どもと私の生活を肯定する人は誰もいませんでした。私自身もそうでした。母親になるには若く貧しく、どんな保護もありませんでした。世界があまりにも残酷であることを知ってしまった傷でボロボロの人生でした。 彼女たちのように誰も私の妊娠を祝福しませんでした。しかし、結局子どもは私の人生に許された神の一手でした。父親なしで生まれた子どもは、神が私の父親だと私に自分の父親を紹介してくれました。そのようにして神は、世間が捨てたと思われた私と子どもの人生をロイヤルストレートフラッシュのような大成功にしてくださったのです。結局、神の愛に出会い、祝福の誕生となりました。 イエス様の愛に出会い、福音の光となった私の傷は、誰かの傷を癒し、私の中にあるイエス様の愛を流し出す力を与えてくれました。 世の中に傷のない魂がどこにあるでしょうか?しかし、多くの傷が福音に出会い、愛となり、また他の傷が福音の光となることができる通路となりました。それが私たちに傷を許された神の愛なのでしょう。 7月に再びタンザニアに向かいます。イエスを知らず、福音を聞かずに癒されない傷を負ったまま生きている人々に、私の傷を癒してくれたイエス・キリストの愛を伝えるために再び歩み出します。 イエス・キリストの愛だけで癒されるその傷は、福音の光となって暗黒の大地を照らすでしょう。神がそのようにされるでしょう。 [福音祈祷新聞] <著作権者ⓒ手の中の神の国、真理で世界を開いてくれる福音祈りの新聞。 ソースを記載して使用してください。>情報とお問い合わせ:gpnews@kakao.com
自分を変化させない福音は福音ではない!
福音に対する二つの反応(5) 神様の国は畑に隠された宝物のようだ。発見した人の人生すべてを変化させるのに十分である。自分の人生が福音に実際にぶつかったら、周りの人が驚くほどに反応するのだ。自分にだけ特別な福音が与えられたのではなく、福音の秘密、隠された宝物を発見したためだ。全てが覆されるような事件が神様の国の福音であるため福音に会ったと言いながら、何事もないということは福音に会ったのではない。 イエス様は極めて貴重な真珠を探し回り、世の中に一つだけの真珠に会った商人の比喩をした。価値が分かったら、持ってるものを全部売ってそれを買うのだ。天国福音、神様の国の秘密を発見すれば全てを売って「それ」を買う。 また、神様は神様の国を海の網に例えた。網を張って魚を捕まえた後、良い魚と悪い魚を区別するのと同じだということだ。福音は皆に向かって開かれてあり、主は悪人と善人を区分せずに日光と雨を与えるが、後で必ず審判がある。 神様の国の特性の中で最も重要なのが神様の国の「実際」だ。私たちの心霊深く主のみ言葉が、その御国が臨む時に真の変化が起き、圧倒的な能力で人生を変化させるのだ。 国家を成す3要素は領土、国民、主権だ。神様の国は主権が王様である神様にあり、私たちが民であり領土は私たちの心霊だ。「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17:20~21) イエスは ’悔い改めろ天国が近いのだ!」だった。 悔い改めて帰ってくる時、神様の国が私たちの心霊に臨む。 もちろん私たちが行かなければならない永遠の国、新しい空と新しい大地がある。しかし、その国に至る前にこの地で私たちに臨む神様の国は神様の統治だ。神の統治が天国の領土である私たちの心霊に臨めば、呪いと死亡の法で私たちを引きずりながら昔の古い自分に奴隷になってた心霊から悪者が追い出される。そしてイエス·キリストの中にある生命の聖霊の法が私たちを解放させる。悲しみと呪い、悲劇と痛みが消え、主から来る美しさ、聖霊の治め、義と平和と喜楽が私たちの心霊を占める。私たちがどんな状況に置かれていても、神様の国を享受し、神様の民として生きていくことになる。 神様の国を経験する美しい共同体は神様が頭になって統治される、目に見えない教会、’エクレシア’だ。この地で暮らしているが、天に属した主の民で、まだ神の国を見ることができない者たちを神の国に救う神の国の地点がまさに私たちの心霊だ。 福音の核心メッセージは”悔い改め、主イエスを信じろ。”だ。 このメッセージが本当に信じられれば、完全な存在的変化が起きざるを得ない。外見は教会を通う、職分も受けた、けど心霊に本当の変化が起きないのは福音を誤解したり会えなかったことだ。彼に必要なのは福音を理解できるように神様が霊の目と耳を開いて下さって心霊を沃土のように作って神様の国がからしの種のようにその中に臨んでその人生を変えて下さることを願うことだ。私を変えることができない福音は、もう私にとっては福音ではない。私を動かすことができない信仰は決して信頼ではない。 (2018年6月)<続く>[福音祈祷新聞]269号福音で十分です。 金容儀宣教師(巡回宣教師. LOGミッション代表) <著作権者>手の中の神様の国、真理で世界を開いてくれる福音祈祷新聞。 出所を記載して使用してください。>情報提供及びお問い合わせ:gnpnews@gnmedia.org