[ソン·ジュンギコラム] 僕たちはお金を準備する
一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(ルカによる福音書9:57~58) 招きの費用 弘大通りで歌うある青年に会った。彼は6年間、毎日街頭に出て歌を歌い、曲を書く無名歌手だった。アンヤンのみすぼらしいワンルームで一人暮らしをしながら毎日弘大を通っているという。 私はふと彼がどのように食べているのか気になった。それで家賃、携帯電話代、交通費、食事代はどのように用意するのか心配そうな表情で尋ねた。すると彼は自分の生活費が私と何の関係があるのかという口調で答えた。 「私がやりたいことをして生きているのに、仕事がないからってどうですか?」 私はショックを受けた。自分がやりたいことをするために自分でお金を作るのは常識だ。私はその常識を忘れていた。 また、彼はチュンムロに遊んでいる監督が3千人を超えるのに、なぜなのか知っているのかと尋ねた。彼らは皆、自分の道を歩むからだと言った。職場に入ると、自分が望む仕事ができないからアルバイトをしながら過ごすという。 街の芸術家たちも自分の招きどおりに生きるために貧困を耐えるのだ。誰が認めてくれようがどうか気にせずに自分の道を行く。やりたいことをしながら生きたくて各種パートタイムの仕事を片っ端からする。 「ところで私は?」’ 私の招きの費用は人生すべてだった。ウェイチャーチの教会の開拓はそれほど重要だった。家長として妻と娘の人生までかけるほどの価値があった。 その青年の態度は私の怠惰を破った。それで私も食べていく費用を作り始めた。ウェイチャーチを開拓して3年間謝礼費なしで暮らしてきた私に、人々はどうやって食べているのかとよく聞いた(最近も聞いている)。その度に私は街の芸術家たちを思い出した。 どうやって食べていくんですか? 人の考えが互いに似ているようだ。実際、ウェイチャーチを開拓する直前に、私もイエスに同じ質問をした。 開拓者は何で生活を営むべきですか?’ 質問が終わるやいなや主が答えてくれた。 帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。(マタイによる福音書10:9~10) 祈る私にこの言葉を思い出させてくださった。教会を始めるために何も持って行くなということだった。どうせがらんとした通帳だったのに、”帯(通帳)”に何も入れて行くなと言われて嬉しかった。何もしなくても自然に従順になるわけだった。 その上、「袋も二枚の下着も、履物も杖」等、何の財産も持って行かないようにと言われ、嬉しく従順した。韓国に帰る前に妻と私は数少ない荷物のほとんどを会う人たちに配った。ただ、自動車と大きな家具は中古市場に売って帰ってくる航空料として使った。 続く主の祈りの応答はこうだった。 町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。。(マタイによる福音書10:11) 私たちにとって「町や村に入ったら」は韓国に入ることだった。そして「そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい」というのは妻の実家に留まることだった。義父と義母ほどの「ふさわしい人」がいなかったからだ。お二人は私たちの帰国に熱狂し、ほぼすべての必要を提供してくださった。 心強い後援 当時、生活費はチョン·ミョンホ牧師(私が青年部副牧師として使役したヘソン教会の担任牧師)が後援してくれた。私はその方を「チョン担牧」と呼んだ。その方は私をとても大切にして愛してくれた。君臨できる位置なのに、むしろ私が真正性を持って使役できるように常に物心両面で後援された。 私の伝道師時代からチョン牧師は師匠であり一番近い友人だった。私の恋愛の助言者であり、結婚式の主礼者であり、私が牧師になった時は按手者でもあった。私の最も重要な時期の大きな変化を間近で導いてくれた。神様が開いてくださった関係だ。 私たちはすでに使役の現場で教会論について4年近く話し合った。 そしてウェイチャーチ開拓直前には8ヶ月にわたりほぼ毎日一緒に食事をしながら話した。そして教会の始まりと同時に、その方は私の最も心強い後援者になってくれた。 会う度に自分の財布のお金を生活費に使うように指定献金としてくださった。韓国に来てもよくヘソン教会に呼んで説教をさせ後援金を集めてくれた。 また、ウェイチャーチの初会合直前には日曜日に私を日曜日1、2、3部礼拝説教者として招待してくれた。そして、各礼拝の広告時間に2年間、私の生活費と教会の使役費を後援しようと提案した。そして、長く考えてきた現実的な後援方法を具体的に提案した。その愛は本当に素晴らしくて、大きかった。牧師もやはり神様が送ってくださった「ふさわしい人」だった。 費用計算 生活費として必要な金額の3分の1がヘソン教会を通じて満たされた。その残りの金額が満たされなければならなかった。イエス様の教会を実行する限り、私はその方に必要な部分を頂いて使うのが当然だと思った。そういうわけで、残りも満たしてほしい」と祈った。主はその時も言葉ですぐに答えられた。 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。(ルカによる福音書 14:27) 私の祈祷タイトルは「生活費をください」であって、その応答は「自分の十字架を背負って従え」だったので、その十字架が何を意味するのかは確実だった。お金を用意するのが私の十字架だった。イエス様に従うのに必要な費用を自ら用意しろという回答だった。 月給が出ない仕事をしながらも生活費と使役費を二重に用意する十字架を背負って行かなければならなかった。祈りの応答が確実になると、私は行動した。 10年近く神学生だったので、最初のアクションは「研究」だった。誰かが城の守備中に見張り小屋を建てなければならなかったら、その費用を細かく計算して工事を始めるだろう(ルカによる福音書14:28)。 そこで開拓に必要な費用を他の先輩たちはどのように手に入れたのかを研究した。本にはいつも道があった。私がしたすべての質問は、すでに誰かがしたものだった。綺羅星のような先輩たちが血と汗のこもった実行を通じて最適な答えを出して直接記録しておいた。 教会開拓の歴史が数千年だ。本に全部出てくる。彼らが海なら、ウェイチャーチ開拓は湧水の水一握りに過ぎない。数多くの使役者がすでに食べてきており、彼らの質問と名答はすでに本にあった。 彼らの中でも私と同時代を生きていく開拓家たちの本がもっと目立った。特にエド·ステッツァー(Ed Stetzer)、オーブリー·マルファス(Aubrey Malphurs)、フランシス·レッドフォード(Francis Jackson Redford)、ボブ·ロバーツ(Bob Roberts)、ダグラス·クランブリー(Douglas Crumbly)、アラン·ハーシュ(Alan Hirsch)、デイブ·アーリー(Neil Cole)、ジェフ·アイオーグ(Jeff Iorg)、トムスライナーは本を通じて私のメントになってくれた。『私はその方たちに多くの借りができた。) 生活費の工面 彼らがお金を用意した7つの方法だ。一つ目は教派の支援だ。教会ごとに所属教団がある。教団とは長老教、バプテスト教、メソジスト教、聖潔教、純福音などをいう。教団別に未自立教会後援費、教会開拓支援費のような予算がある。それは主に老会を通じて伝えられ、先輩牧師たちと関係と保証で支援がなされる。 二つ目は母校会の支援だ。この部分は主にある地域教会でキャンパス教会を追加開拓する時に行われる。そして珍しいことだけど母校会でインターンシップ制度を運営し、牧師候補生を開拓者として育てて送り出す時も後援が行われる。 3つ目は協力支援だ。教団概念ではなく、ネットワーク関係での開拓支援方法である。同じ教会論を持って教会開拓を通じて福音伝播使役をしようとする教会が少しずつお金を集めておく。 色々な開拓教会がもう一つの教会を始めるために契を挙げて時に合わせて配る方法だ。 4つ目は宣教後援者募集だ。青年たちが海外短期宣教に行く航空料を募金するために宣教手紙や祈祷手紙を書いて知人たちに配り募金するのと同じ方法だ。この時、主に教会開拓提案書を用意して人々を訪ね回りながら開拓者がプレゼンテーションをする。 その提案書は目的が何なのか、対象は誰なのか、どのような開拓モデルなのか、誰がその仕事をするのか、いつどのように始めるのか、財政確保戦略は何なのかを書く(この部分は付録として加えた)。 5つ目は募金だ。これは宣教後援者募集と似ている。しかし、より一時的な仕事のためだ。例えば「教会を始めようと思うのですが、2万ウォンの折りたたみ椅子100個が必要です。それで200万ウォンを募金しています」という風だ。 6つ目は多様な支援を受けることだ。前の5つの方法をすべて使用する。いずれかの方法ですべてのニーズを満たすことができない場合は、すべてのサポートを受ける必要がある。 […]