神様が完璧に創られた世界を人間が壊した
創世記1章30節はこう言う。”また、地のあらゆる獣、空のあらゆる鳥、地を這う命あるあらゆるものに、すべての青草を食物として与えた。” 洪水の前には地球上に住むすべてのものが植物を食べていた。パンダの歯は鋭い。見た目は肉食動物の歯のようだが、そうではない。中国にあるシカは、軍刀(刃の曲がった長い刀)歯、虎のような歯を持っている。シカも草食動物だ。フルーツコウモリ、菜食猿も鋭い歯を持っている。 創世記9章で洪水が終わった後、神様がノアと息子たちを祝福しながら生育し繁盛するよう命じた。 そして神様は「地のすべての獣が君たちを恐れ、君たちを恐れるのか」とおっしゃった。洪水の前の動物は人を怖がらなかった。しかし洪水の後、最初の変化は動物が人を怖がり始めたことだ。2番目の変化は動物を食べ始めたという事だ。 「ノア、すべての山にいる動物はあなたたちの食べ物になるだろう。これからは肉を食べてもいい」 私たちが食べるほど動物は苦しむ。神様は完全な世の中を創られたのに、人間がそれを破壊したのだ。人間がこの世に罪と死亡をもたらした。 洪水の後、動物たちは人を怖がった チャールズ·ダーウィンはこのように述べた。「私は混乱している。 無神論的に書く意図は全くなかった。しかし、この世には悲惨な事があまりにも多いようだ」 ダーウィンはなぜ神様がこの苦痛のある世の中を創られたのかとても理解できなかった。決して神様は苦痛のある世の中を創られたわけではない。しかし、チャールズ·ダーウィンは戦争と飢饉と死が私たちをより高い段階に引き上げると考えた。それはまさに今教える進化論である。「死」は進化論者の陰謀の英雄だ。しかし、聖書は神様が完璧な世の中を創られたと言っている。そんな世の中を人が壊した。 「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、すべての人に死が及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」(ローマの信徒への手紙5:12) 神様が苦痛を創ったのではない これはアダムの過ちだ。壊れた車を持って「なぜこんな車を創ったのか」とメーカーのせいにすることはできない。メーカから出る時は完璧な姿だった。今、私たちは廃車場に住んでいる。私は地球に住むのが好きで、アメリカのノックスビルが美しいところだと思う。しかし、これはアダムとハワが見たものとは比べ物にならない。廃車場に過ぎない。しかし、神様が再び直してくださるだろう。 いつかは「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛と若獅子は共に草を食み、小さな子どもがそれを導く。」(イザヤ書11:6)という言葉が叶うだろう。子供がヒョウやライオンを導く姿を想像できるだろうか? 「ママ、私が見つけた大きな猫を見てください。飼ってもいいですか?」 「もちろんよ、大きな猫を裏庭に連れて行って草を食べさせなさい。」ライオンは草を食べないと抗議するでしょうけど、いつかはそうなるだろう。「獅子も牛のようにわらを食べる。」(イザヤ書11:7) カナダに住んでいるある人が自分の庭にいるクマを撮ったビデオには、クマが2時間草だけを食べていた。聖書は語る。「百歳で死ぬ人は若者とされ(イザヤ書65:20)、キリストと共に千年の間支配した。」(ヨハネの黙示録20:4)聖書で非常に信念的な節が多くないが、ここではこの世代の終わりに千年という時間が来ると記録されている。あなたが救われたなら、ここで千年住むことになる。すべてがエデンの園の状態に回復したままでだ。子供たちは恐竜のペットを個人的に持つことになるだろう。とても楽しいだろう。その後、主が新しい空と新しい土地を造られるだろう。 <続く>[福音祈祷新聞] 本紙は創造論専門家である米国ケント·ホービンド博士の創造論講義を要約、紹介する。 ホビンド博士の講義は聖書を中心に神様の創造世界を興味深く説明し、進化論が偽りの信仰体系であることを明快に明らかにしている。 <編集者> <著作権者 ⓒ 手の中の神の国、真理で世界を開く福音祈祷新聞>お問い合わせ:gnpnews@gnmedia.org
気圧が高かった洪水前の動物は巨大だった。
箱舟から出たノアは文明を完全に建て直さなければならなかった。最初からやり直すには石器を作らなければならなかっただろう。そうするのが土を掘って鉄を見つけた後、溶かして鉄器を作るよりはるかに速いためだ。製作に3週間もかかる鉄斧を作る間に飢え死にすることもあり、50ポンド(約22.7キロ)もする鉄器具を持ち歩くことも難しかっただろう。むしろその場で石器を作るのがもっと早かっただろう。マンモスやバッファローを追いかけて素早く石器を作って屠殺した後、道具を捨てて他の場所に移動したのではないか。 今、私たちはこのような石器を発見すると、このように反応する。「わあ、この矢じりが完璧な形でバランスが取れているね。この人たち、賢いんだね。発展した文明だったようだ」。あるいは若干粗雑に見えて柔らかく整えられていない他の矢じりを発見すれば「これを作った時代の人々はそれほど賢くないようだ。」と話す。実際にそうだったのだろうか。こんな仮定はどうかな?矢じりが粗雑に見えるのは、逃げるマンモスを捕まえるために焦っていた人が作った可能性はないだろうか。このような遺物は、彼らの知能よりは、彼らがどれだけ時間をかけたかに関する痕跡かもしれない。 洪水の前には、人間だけが長生きしたのではなく、動物も長生きした。それだけ大きく成長した。 身長18フィート(約5.5メートル)の角のない、非常に高いサイに対し、人々は先史時代の動物だと言う。しかし、そうではない。100年前まで「先史時代」という単語は辞書にもなかった。1766年の辞書には「先史時代」という単語がない。1860年辞書にも、1892年辞書にもない。洪水前という言葉はあったが、先史時代という概念はなかった。 洪水が起こる前は水のカーテンが気圧を高めたため、地球環境は今とは大きく違っていただろう。昆虫もはるかに大きく育った。昆虫は使用可能な酸素量と大きさが比例する。表面積と体積の割合によって酸素が豊富な水に住む昆虫は1000倍も重くなる。50インチ(約1.27メートル)の翼を持つトンボのような化石が発見された。最近は3~4インチ(約7.6~10センチ)程度しか育たないが、洪水前は巨大だった。18インチ(約45センチ)もの巨大なゴキブリの化石と8.5フィート(約2.6メートル)の巨大なムカデ化石も発見された。このような化石はもっとある。2フィート(約60センチ)のバッタ化石、足の間の長さが3フィート(約90センチ)もあるドクグモ化石、60フィート(約18.3メートル)の柔らかい化石、テキサスでは9フィート(約2.75メートル)のロバも発見された。これらは数百万年前と言われているが、違う。洪水の前に生きていただけだ。 気圧が高くなると、より多くの気体が水に溶け込む。エラで水中で呼吸する魚ももっと大きかっただろう。今、サメが約1インチ(約2.54cm)の長さの歯を持っているなら、そのサメはおそらく15フィート(約4.5m)程度の長さになるだろう。そのため発見されたサメ化石の歯は、サメがこの地球で80フィート(約25メートル)の長さに育ったことを示している。 ボウ博士は高圧酸素室でショウジョウバエを育てたが、普通より10倍長く暮らした。ただ気圧だけを高めたにもかかわらず、このような結果が出た。 エデンの園は気圧も高く、日光も濾過され、磁場もさらに強かったはずだ。エデンの園以来、少なくともこの3つ、いや、もっと多く失っただろう。 アンデス山の海抜2マイルで発見されたカキは、11フィート(約3.5メートル)の長さで600ポンド(約270キロ)の重さだった。エベレストでは化石化した貝を発見した。これらの貝は化石化したにもかかわらず閉まっていた。エベレストは海辺までは約450マイル(約700キロ)離れており、貝は死ぬ時に殻が開く。どのようにして化石化した閉じた貝をエベレストの上で発見できたのだろうか?洪水があったはずだ。しかし、洪水がエベレスト山の上までは襲ってこなかっただろう。その時はエベレスト山はまだなかったはずだ。詩篇104編は洪水の最後に山が登ったと述べている。洪水が終わる時に山が形成され、地表が割れて開いて、割れたものが上がったり下がったりした結果だろう。 爬虫類は決して成長を止めない。もし爬虫類をエデンの園に置いて900歳まで住まわせたらどうなるだろうか。とても大きなトカゲになるだろう。 恐竜は洪水が来る前にアダムとハワと一緒に暮らしていた大きなトカゲだ。今の時代にペットショップで買えるこんな小さなジャクソンカメレオンが15トンまで育つとしたら、どんな形になるだろうか。一種のトライセロトップのようなものだろう。恐竜は「恐ろしいトカゲ」だ。恐竜は人間の歴史上、常に一緒に暮らしてきたし、名前が違っていただけだ。 <続く>[福音祈祷新聞] 本紙は創造論専門家の米ケント·ホーヴィンド博士の創造論講義を要約、紹介する。 ホビンド博士の講義は聖書を中心に神様の創造世界を興味深く説明し、進化論が偽りの信仰体系であることを明快に明らかにしている。 <編集者> <著作権者 ⓒ 私の手の中の神の国、真理で世界を開いてくれる福音祈祷新聞> 문의: gnpnews@gnmedia.org
洪水の前は南極にも木がいっぱいだった
カリフォルニア州にある「国立科学教育センター」の会長であるジニー·スコットは、「米国の中西部に80個のそれぞれ異なる石炭層があり、現在この世に埋蔵されている石炭の量は、現在世界のすべての生物(植物)量をすべて投入しても作れない膨大な量だ」と話した。 その通りだ。 膨大な量の石炭が地球に埋まっている. スコットは続けて「そのすべての炭層を積むには非常に多くの時間が必要だ」と話した。 そこに私は「いいえ、ずばりそこで間違っている」と答えた。 石炭は世界を埋め尽くした洪水の結果 スコットは今の世の中を見ながら、以前もいつもそうだったと推定する。 しかし、現在、地で発見されている石炭は洪水の前の世界を埋めた洪水の結果だ。その時はもっと多くの木があった時だ。 一例として、平方1000マイル(約16km)の石炭が最高200フィート(約61m)の厚さで積まれているモンタナの炭鉱を挙げることができる。おびただしい量の石炭だ。たまに石炭の中から人工遺物が発見される。手で振る鐘、鉄鍋、靴底などが石炭の塊の中で発見された。石炭の生成については、次回に述べることとする。 聖書は野菜と木が’全地面’にあったと話す。今はそうではない。70%の土地が水中にあるため、そこは植物で覆われていない。 神様が創造された時は地球が植物で覆われていた。南極でも’木の葉’を発見した。南極250マイル下で葉を発見したのだ。しかし、現在南極には木がないということを記憶しなければならない。 70%の土地が水面下にある現在の地球で、たった3%だけが人が住めるところだということを知っているのか。多くの部分が砂漠や氷河、ツンドラ、高山地帯など人が住めないところだ。私たちが今見ているものはアダムとハワが見たものではない。聖書では神様が地球を作る時に人が暮らせるように作られたと話す。これが地球を作った理由だ。 人が住める土地は地球で3%だけ 推測してみると、おそらく洪水前には80%程度の土地と20%程度の水だけがあったかもしれない。その時は大洋がなかった。水は地殻の中にあるか頭上のカーテンにあっただろう。洪水の前には木が北極から南極まであった。大気の上の水(創世記1:7)が太陽から来る紫外線やエックス線のような有害なものを遮断してくれたからだろう。 太陽は光以外にも多くのものを作り出す。X線、ガンマ線、ベータ線などは体にとても有害だ。特にレントゲンと慣れているX線は危険だ。太陽が毎日レントゲンを送っていることに多くの人は気づいていない。コンクリートや水がレントゲンを防いでくれているけど毎日数百万個の穴が私たちの肌に今もできている。 洪水の前には900歳以上生きる しかし、洪水の前にはこのようなことはなかった。聖書は洪水前には人々が900歳以上生きたと話す。おそらくしわもできていないだろう。自分を創造論者だと主張していた一人はこのような話をした。「皆さん、900歳まで生きたわけではありません。彼らが月を1年で計算したのです。旧暦を使いましたが、その数字を12で割らなければなりません」 しかし、それはもっと大きな奇跡だ。 ”エノクが65歳にムドゥセラを産んだ」(創世記5:21)マハラレルを含め聖書の中の2人が65歳の時に子供を産んだが、65を12で割ると5歳半の時に父親になったという話になるためだ。私はそれを信じるのがもっと難しい。本当に彼らは900歳まで生き、体も大きかった。 <続く>[福音祈祷新聞] 本紙は創造論専門家の米ケント·ホーヴィンド博士の創造論講義を要約、紹介する。 ホビンド博士の講義は聖書を中心に神様の創造世界を興味深く説明し、進化論が偽りの信仰体系であることを明快に明らかにしている。 <編集者> <著作権者 ⓒ手の中の神様の国、真理で世界を開いてくれる福音祈祷新聞> お問い合わせ:gnpnews@gnmedia.org
洪水前には気圧が2倍… いつもエネルギーが溢れていたはず
洪水の前は今とはずいぶん違っていたはずだ。その時は酸素量が今より多かったはず。酸素量が多ければ、体の治癒を早くする。もし気圧を2倍高めて酸素を増やせば、ヘモグロビンがいつものように酸素を受け入れるだけでなく、血漿も酸素で充満することになる。それは私たちが数百マイルを疲れずに走ることができるという意味だ。アダムとハワは車を必要としなかった。彼らはどこへでも疲れずに駆けつけることができたはずだ。 洪水で消えた気圧 実際、最近も高圧酸素で病気を治療している。テキサス州のジェシカという赤ちゃんが井戸に落ちた事件があった。18ヵ月の子どもの足が前後に開いたまま、8インチ(約20センチ)の鉄パイプの中に滑り降りた。赤ちゃんはその中で2日間閉じ込められていた。ついにパイプから出した時は、赤ちゃんの体の多くが血行不足で黒くなっていた。特に右足はゆがんでいたため、完全に黒くなってしまった。医師のうち1人は足を直ちに切り取らなければならないと言ったが、ある医師は足を切り取る前に子供を高圧酸素室に入れてみようと言った。子供は2倍圧力の酸素室に入った。2時間後にその子の足がピンクに戻った。足の小指の半分を切ることになったけど、足を守ることができた。 西ドイツでは中風患者を高圧酸素室で治療したら中風が驚くほど回復した。英国でも多発性硬化症とあらゆる種類の病気に高圧酸素室を利用したいる。インドではハンセン病を治療するのに高圧酸素が良い効果を上げた。 ある子供は高圧酸素で脳性麻痺の治療を受けている。医師らは手術中に麻酔中の人に酸素を加えると、感染件数が半分に減り、嘔吐件数も半分に減ることを発見した。ニューヨークでは高圧酸素で自閉症を治療したこともある。米国のスポーツチーム’ダラス·カウボーイ’は高圧酸素室を持っている。高圧酸素室で負傷した選手が2倍も早く治るのを発見したためだ。 オレゴンにいる私の友人も高圧酸素室を持っている。 私が訪問した時、高圧酸素室に入ってみた。友達は私に読む本を渡してドアを閉めながらこう言った。“ドアを閉めて普通より圧力を3倍高める。もう90フィート(約27メートル)下にダイビングする。” 私はその中で本を読みながら1時間の間に純酸素を3倍圧力で飲んだ。友達が私を取り出してくれながら聞いた。”気分はどう?”私はこう叫んだ。”世界中を走り回ることができそうだ。これは最高だよ!”洪水の前の全世界は気圧が2倍であって、そんなに多くの酸素があったとすれば常にエネルギーがあふれていただろう。 植物は酸素ではなく二酸化炭素を飲む。日本にいるある人が圧縮された二酸化炭素を利用してトマトを育てたら普通より早く大きくなった。トマトの木は2年生の頃に16フィート(約4.9メートル)まで伸び,約900個のトマトを実る。その後、その木はさらに伸びて40フィート(15メートル)になり、この一つの木から1万5000個のトマトが生産された。ミニトマトの木だったが、その木のトマトは野球ボールほどの大きさだった。 アイオワにいるある人は”なぜ鳥は日が昇る1時間前からさえずるのか?”という質問があった。彼は鳥のさえずりが葉細胞の気孔を開く特定周波数を出すことを発見した。葉を虫眼鏡で見ると穴があって、それが開いて二酸化炭素を入れさせる。朝、植物を起こす機能をするのだ。 そして、この周波数がクラシック音楽から多く出ることが分かった。それで彼はベートーベンとバッハ、ショパンの音楽を自分のトウモロコシ畑に流した。彼の隣人は彼が狂ったと思ったが,トウモロコシの木が15フィート(4.6メートル)に育つのを見てびっくりした。クラシック音楽をカボチャに聞かせたらカボチャの葉一つになんと5個ずつ開き、黒いクルミの木は普段より2倍も早く育った。ジャガイモは2~3倍の大きさで育ち、メロンはサッカーボールほどに育った。これを音波栽培とも呼ぶ。 [福音祈祷新聞] 本紙は創造論専門家である米ケント·ホーヴィンド博士の創造論講義を要約、紹介する。 ホーヴィンド博士の講義は聖書を中心に神様の創造世界を興味深く説明し、進化論が偽りの信頼体系であることを明快に明らかにしている。 <編集者> <著作権者 ⓒ手の中の神様の国、真理で世界を開く福音祈祷新聞>お問い合わせ:gnpnews@gnmedia.org
地球の地殻プレート、’大いなる深淵の源がことごとく裂けた’洪水の時に登場。
水のカーテンは地球の上にあっただけでなく、地表の中にもあった。 詩篇24編と詩篇136編は”世界とそこに 住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた。”と話す。 今海にあるほとんどの水は地表の中にあった水だった。 創造当時、約10~20インチ(約25~50センチ)程度の水が大気圏の上にあったはずだ。それは恐らく氷だったかもしれない。そしてその下に息づく空気が約10~20マイル(約16~32km)ほどあっただろう。土と岩が今も存在するこの地表面の上にあった。そして地表の中にも水があった。まさに”大いなる深淵の源がことごとく裂け”という時、地表から湧き出た水だろう(創世記7:11)。 今も地表の中には多くの水がある。そうでなければ、熱い水流が海洋底から噴出することはできない。海の下から熱い水流はどこから湧き出るべきか?それよりもっと下から出なければならない。海の下に巨大な熱水噴出口があって熱い水の一部が今も出てくるのだ。 洪水の時に開かれて割れた隙間が依然として地球に残っているだろう。それは地球を構成しているいくつかの地殻プレートを見れば分かる。そのような地殻プレートであるサンアンドレアス断層、ヘイ川断層、ニューマドリード断層、黄金断層などに行ってみれば、地殻表面に隙間があることには疑問を提起できない。地震は断層が動くときに発生する。 このように土地が分かれていることにも疑問がなく、地殻プレートが依然として動いていることにも疑問がない。問題はこのすべてのことがいつできたのかということだ。 進化論者たちはこれが数百万年間作られたというが、創造論者たちはこのすべての災いが’大いなる深淵の源がことごとく裂けた’洪水の時に始まったと考えている。洪水がこの全ての断層の根源だということだ。また、洪水の時に地表に湧き出た地中の水は今日も存在している。 洪水の前には気圧を高める氷壁があった。 最近’おそらく酸素不足が恐竜を殺しただろう。’という新しい理論が出てきた。なぜ酸素不足という言葉が出たのだろうか。1993年に開かれたシンポジウムで多くの科学者がアパトサウルスについて研究した。その時、ある人がこう言った。“皆さん、問題があります。 80フィート(約24メートル)のアパトサウルスは、馬ほどの大きさの鼻の穴を持っていました。” どうやって80フィートの動物が馬ほどの大きさの鼻の穴から十分な空気を吸うことができたのだろうか?アパトサウルスが十分な息をするには強く吸い込まなければならないから風の摩擦によって鼻の穴から火が出ただろう。結論的に彼らは息をすることができない。しかし、その恐竜たちは息を吸って生存した。恐竜の骨が全世界的に発見されたからだ。甚だしくは南極とアラスカでも発見されるほどにこの恐竜はすべての場所に住んでいた。 では、どうやって80フィートの動物が十分な空気を吸うことができたのだろうか?今はおそらく不可能だろう。しかし、洪水前には気圧を高める水や氷のカーテンがあり、それによってさらに濃い酸素があっただろう。 その証拠として石化された木のエキスであるカボチャの中から空気の鈴が発見されたりもする。空気のしずくを分析した人たちは、その中に今より50%多くの酸素があることを発見した。現在、私たちが飲む酸素は21%の濃度だが、カボチャの中の空気滴には32%の酸素が入っていた。 もし気圧が2倍で酸素が50%多いところに住んでいるなら、息をすること自体が楽しいことだろう。気圧を2倍高めて酸素を増やせばヘモグロビンが酸素を受け入れるだけでなく、血漿も酸素で充満することになる。この話は疲れずに数百マイルも走れるという意味である。アダムとハワは車が必要でなかった。彼らは望むところまで走って行くことができたはずだ。 しかし、子どもたちは教科書でこのように学ぶ。 “生命体が進化していた最初は酸素がなかったが、それは還元性大気と呼ばれる。” 申し訳ないがそれは完全に嘘だ。酸素がないところで生命体は進化どころか、存在することさえできない。 <続く>[福音祈祷新聞] 創造物語(21) 本紙は創造論の専門家である米国ケント·ホビンド博士の創造論講義を要約、紹介する。 ホビンド博士の講義は聖書を中心に神の創造世界を興味深く説明し、進化論が偽りの信仰体系であることを明快に明らかにしている。 <編集者> <著作権者>ⓒ 手の中の神様の国、真理で世界を開く福音祈祷新聞>お問い合わせ:gnpnews@gnmedia.org
[GTKコラム] 根本主義(2):根本主義の登場
イエスは言われた。”わたしは道であり,眞理であり,命である。わたしを通らなければ,だれも父のもとに行くことができない。”(ヨハネ14:6) ほかのだれによっても,救いは 得られません。わたしたちが救われるべき名は,天下にこの名のほか,人間には與えられていないのです。 (使徒行傳4:12) 聖書で神様は宗教に対して寛大ではない。サタンは私たちが神様を信じない限り、何をどれほど信心深く信じようが気にしない。神様が聖書とは違うどんな姿の礼拝でも受けると言うことは、聖書の神様を否定することだ。何よりも神様が与えてくれた最初の戒名は”わたしは主,あなたの神,あなたをエジプトの國,奴隷の家から導き出した神である。あなたには,わたしをおいてほかに神があってはならない。(出エジプト20:2-3)だからだ。 聖書を信じる人なら他の宗教も事実であり得るという可能性を受け入れることができない。キリスト教を本当に真理だと信じるのなら、それだけが独占的に真理に違いない。キリストが宣言した核心的なメッセージの一つがその方だけが真理を与えるという主張で、その方の真理から外れたすべての宗教はすべて嘘だということだった。 もちろん、このような意見は現代文化の相対論的な価値とは正反対である。多元主義と多様性は絶対的な真理よりも高い美徳とされている。私たちの信仰だけが正しくて他のすべての信念は間違っていると言えなくなっている。そう主張することは後戻りする、旧式の無礼な行動と見なされている。言い換えれば、私たちは宗教的信仰を持つことができず、ただ信仰を私たち個人の好みにだけ置くことができるようになったのだ。 実際、これらの問題は目新しいものではない。教会は少なくとも世紀の変わり目からこのような問題に取り組み続けてきた。宗教的基準と信念において幅広い考え方を持とうとするこのような訴えは、常に神学的自由主義の中心にあった。本当にこのような考えは、自由的(liberal)という用語が本来意味したものと正確に一致する。今流行している'寛容'にすべきだという訴えは福音主義陣営内部からの声だ。 自由主義は100年ほど前からプロテスタントの主要教団を占め始めた。かつて聖書の真理に献身していた学校は彼らが守るために設立したその教理を攻撃し始めた。プリンストン神学校(Princeton Theological Seminary)さえも長い間正統改革主義の砦であったが、結局は時代の思潮に屈してしまった。そのためにしばらくの間、福音主義は自由主義によって完全に圧倒され、壊滅したように見えた。 自由主義者は時代遅れであり,無知,悽絶に偏狭であることを福音主義の特徴にきめた。彼らはキリスト教はあらゆる種類の信念を幅広く受けるべきだと主張した。彼らは歴史的福音主義の狭くて独占的な本質がキリストを適切に代表することはできなかったと考えた。寛容と自由主義が現代キリスト教に適していると考えたのだ。彼らの主張が人の聞かせて始めた。正しい教理は妥協と自由主義に道を開けて、教会内で何も信じないことがむしろハイレベルと考え始めた。 ところが、その後、驚くべき運動が始まった。大西洋の両方から福音主義者が根本主義(The Fundamentals)という一連の執筆と出版で連合したのである。元々12冊で出版されたこれらの文章は、根本主義(fundamentalism)と知られる運動の土台を築いた。ジェイ·グレシャム·メイチェン、ジェームズ·オー、アール·エイ·トーレイ(J. Gresham Machen, James Orr, R. A. Torrey)のような人々が先頭に立って、根本主義は自由主義、聖書の高等批評、進化論、モダニズムと戦うために正しい教理を採択した。 根本主義に関する教理的な根拠は福音主義的聖公会、ルター教、長老教、メソジスト教、バプテスト教、メノ派教、独立教および他の教団を含めるのに十分だった。彼らが”根本(fundamentals)”であると確認した案件は、彼らが必須であり、基本的で妥協できない真理と考えられる教理であった。当然、この教理は自由主義と福音主義を区別する信仰の書であった。 原理主義者はこれらが真の教会を嘘のキリスト教と区別する教理だと信じていた。 では、彼らが同意した根本主義の文章は何だったのだろうか。 最も基本的なものは聖書の権威、霊感、無誤性だった。根本主義者らは、聖書高等批評をする人々に対して、聖書が文字通り神のみ言葉であることと、歴史的にも事実的にも正確であり、信徒に完全で唯一の拘束力がある規則だと主張した。こうした原則はもちろん、他の様々な問題の主が誰かを決める重要な原則だった。もし、私たちが聖書が権威があり、間違いのない神様のみ言葉だということに同意するなら、創造事件、キリストの処女誕生、彼の肉身の復活、奇跡のような歴史的な主張を論争する正当な理由がない。我々が聖書が信仰と実行の問題で唯一の権威だと信じているのなら、宗教的な推測や教会の伝統を聖書と並ぶことできない。 キリストの神聖、三位一体教理、十字架に対するキリストの代理贖罪、復活、信仰によって義に適うとしたこと、恵みによる信仰によった救い、聖化の必須性、他の根本的な教理を歪曲したり反対するすべての信仰を拒否すること、このすべての事案が"根本"として列挙された。 要するに,初期の根本主義者は自由主義者に対抗するために、真実なキリスト教を正義するために、正しい教理を用いた。自由主義者は実質的な問題だけを主張したが,理論的な部分ではそうではなかった。彼らがよく使う自由主義的スローガンは、"キリスト教は人生であり、教理ではありません"だった。しかし、根本主義者たちは、真のキリスト教が人生のすべての方面に影響を与える教理だと正しく主張した。 そのため、できるだけ広い範囲の信念を受け入れるために"キリスト教"という名称を快く拡大しようとする人々とは違い、根本主義者たちは絶対的で妥協できない客観的な真理の核心を探そうとした。彼らは正しい教理の本文がキリスト教のすべての基礎であると主張した。彼らにとって、根本(fundamentals)を拒否したすべての宗教のブランドは偽キリスト教または非キリスト教と見なされた。 原理主義者はほとんどの教団を自由主義の侵食から取り戻すことができなかった。しかし、彼らは歴史的な聖書真理に忠実な新しい学校、新しい教団、そして新しい教会を建てることができた。これらの機関は1世紀の間、活発な成長と霊的影響力を享受したが、主要教団の教会は深刻な衰退を経験した。 アメリカが依然として聖書を信じる健全な教会を持っていることは根本主義的先祖の業績だ。もし彼らが席を立てずにキリスト教の基礎を守っていなかったら,アメリカの教会の景観は今ドイツのような国で見られる荒れ地に似ていただろう。ヨーロッパの教会は,自由主義の偽キリスト教による壊滅的な損傷から回復したことはなかった。ヨーロッパの崩壊は、私たちにメイチェンのような人々の確信と勇気がなかったら、私たちはどうなっていただろうかということを深刻に考えさせてくれる。 自由主義に対する根本主義の闘争による利益は、今日まで影響を与えているが、根本主義運動自体は決して長生きできなかった。根本主義運動は頂点に達するや否やほとんど乱れ始めた。根本主義の分裂を理解することは、我々が今の福音主義の状況を理解する上で非常に重要な点だ。次回のコラムでこの問題について考える事とする。 [福音祈祷新聞] キャメロン·ブーテル | グレーストゥーコリアコラムニスト GTKコラムは、私たちの人生で起こるすべてのことについて、聖書のみ言葉から答えを見つけようとするアメリカのグレースコミュニティ教会のジョン·マッカーサー牧師とGTK協力牧師と信徒が寄稿するコミュニティであるGrace to Korea(gracetokrea.org)のコンテンツで、本誌と協約を結び、掲載されています。 <著作権者 ⓒ手の中の神の国、真理で世界を開く福音祈祷新聞。 引用元を記載して使用してください。> 情報提供及びお問い合わせ:gnpnews@gnmedia.org
[GTKコラム] 根本主義(1):根本主義とは嫌悪すべき単語なのか?
あなたは根本主義者と呼ばれたことがあるか。ここ数年,この言葉は信者の間で極端な意見の持ち主を表す用語となっている。 大衆と世俗のマスコミが極端主義を定義したという事実が本当に残念なことだ。今、彼らはジハード(イスラムの戦争)を遂行することから始まり、世の中で流行するのと合わないすべての信念を全部極端主義に含めている。そこには神様が設計した結婚を守ることも含まれてある。 信仰のない世界は、教理をわきまえることができないため、彼らと反対の信仰を持つ根本主義者を全部極端主義者として分類している。そのために罪で目がくらんだ世の中は、クリスチャン根本主義者とイスラム根本主義者の違いを区分できないのだ。 アイダホ大学の哲学教授であるニック·ギア(Nick Gier)は、学界で流行している一般的な観点をこのように特徴づける。 "クリスチャンとイスラム原理主義者には恐ろしい共通点がある。二つとも世の中を'信じる人'と'信じない人'に分け、また彼ら自身が誰が救われ、誰が破滅されるかを決めることで彼らが人の人生を持ってまるで自分たちが神であるかのように行動できると考えるている。そして人間が建てた最も平和的で繁栄的な社会機関、自由民主主義の時代的文化に戦争を宣布した。彼らは教会と政治の分離を拒絶して彼らだけの観点から見る神聖な法を基盤にして自分たちの政府を建てようとしている” このような考えがもたらした結果は、あらゆる根本主義を一つの脅威と見なすことになったのである。そして、このように考える人々は、社会の進化と自由を脅かす存在をなくそうとする。 福音主義クリスチャンの間の'根本主義'は通常禁止事項と関連している。”踊るな、飲むな、噛むな;そういう行動をする女たちと一緒にいるな”多くの根本主義クリスチャンはこうした固定観念が実際と変わらないことを簡単に認めるだろう。これらの教会では,踊り,酒,カード,映画を見ることが信者に禁止されている。近代の福音主義の観点から根本主義キリスト教を見れば、何の面白みも見いだせないだろう。 根本主義は、現世界からの嘲笑と、信者の軽蔑をあおぎたてる単語かもしれないが、教会史は私たちに全く別の話をしてくれる。 20世紀初め、ドイツの神学的自由主義の手がアメリカに上陸した。人間の理性と経験に対する自由主義的強調は、聖書的権威、無誤性および十分性を毀損して、教理的純潔は教会内で脅かされた。過激主義ではなく飛び上がる自由主義が教会にとって最大の脅威となった。その時代の英雄的なキリスト教徒たちは聖書的キリスト教の根本真理を守るために立ち上がった。したがって、キリスト教根本主義は聖書の真理のために必要な戦争をするために誕生した。 原理主義は決してキリスト教強硬派や極端主義者のためのはけ口とは思えなかった。これは嫌悪すべきことではないし、そうなってもいけない。我々には防御して戦わなければならない根本的な聖書的真理がある(ピリピ人への手紙 1:16、ペテロの第一の手紙3:15、ユ3)。 そして、このような大切な真理のために戦うことは、1世紀前と同様、今にも必ずしなければならないことだ。今後我々はキリスト教根本主義者の話と彼らがどのような根本のために戦ったかについて語る。今我々が直面している問題について、教会が力になる教訓を我々に説いてくれるだろう。次の時間を逃さないことを願う。[福音祈祷新聞] キャメロン·ブーテル | グレーストゥーコリアコラムニスト GTKコラムは、私たちの人生で起こるすべてのことについて、聖書のお言葉から答えを見つけようとする米グレースコミュニティ教会のジョン·マッカーサー牧師とGTK協力牧師と信徒が寄稿するコミュニティであるGrace to Korea(gracetokrea.org)のコンテンツで、本誌と協約を結び、掲載されています。 <著作権者ⓒ手の中の神の国、真理で世界を開く福音祈祷新聞。 引用元を記載して使用してください。> 情報提供及びお問い合わせ:gnpnews@gnmedia.org
霊魂の中に植えておいた神様の形象を探す。
“あのね!一緒に遊ぼう。ここに座ってみて。私の横にくっついて。足を伸ばしてみて。足を合わせてみよう。”砂場に座って狭い肩を重ね、手も合わせて、くっ付いて座ったもので遊ぶ準備は終わり。友達の足を順番で触れながら歌を歌い、歌が終わる時にかかった友達が鬼になる。お互い似ているが、それぞれ違う形の足の指を見て笑ったりもする。友達の暖かい体温を通じて、うれしく楽しい気持ちを共有しながら幸せな1日を過ごす。 子供たちは見ただろうか。私のものと友達のものを比較しながら笑ったその足の指と、友達の体温と、明るい笑いの中にあった神様の形相を。魂の中で発見できる神様の形象がどれほど美しくて甘いものであるかを、ぜひ発見してほしい。 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世記1:27)[福音祈祷新聞] <著作権 ⓒ 手の中の神の国、真理で世界を開く福音祈祷新聞。 引用元を記載して使用してください。> 情報提供及びお問い合わせ:gnpnews@gnmedia.org