【TGCコラム】弱さ、福音に耳を傾ける機会

Date

2022年5月9日

“アドニヤは慈悲を求めに駆けつける。 これが彼の唯一の希望だ”

アドニヤ、自分自身を振り返らせる名前だ。注目する人は多くないようだが、よく見ると彼の話には私たちに与える助けがある。

ご存知のようにアドニヤはダビデの死が差し迫ると、その時を狙って自ら王になろうとした。列王記上1:5で彼はこう言う。”私が王になる”。彼は父親から王位を受け継ぐまで待てず自ら王座に上がろうとした。ダビデはこのようなアドニヤを認めなかった。ダビデはソロモンが王になることを望み、結局ソロモンを後継者にした。

このことで異母兄弟のソロモンとアドニヤはぎこちない仲になった。アドニヤのセルフ戴冠式祝賀会はソロモンが王になったという急知らせで中断され、その場にいた人達はたちは驚いてばらばらになった(王上1:49)。アドニヤは1人残され、ソロモンが”怖かった。”

彼はこれからどうするのか。

“立って行き、祭壇の角をつかんだ。”(王上1:50)

怖がっていた。誰も見ていない時、王冠を握ろうとした計略がぞっとする過ちだったことを今は知っている。王座に就いたばかりのソロモンが、民の前で自分を手本に処断することを恐れる。だから、慈悲を求めに主の所に駆けつける。祭壇の角をつかむ。

まさにここでアドニヤは私たちにとても役に立つ。

1。彼は自分の罪を見る。 彼は自分が何を犯したのか、その結果がどうなるのか苦痛に思っている。(私は彼を悔悟の模範として展示するつもりはない。自ら王座に上がった結果を彼が知ったという事実に注目すれば、役に立つということを見せようとするものだ。)

2。彼は自分の弱さを見る。彼は王の相手にならない。彼はソロモンを退けたり勝つことはできない。彼は今後の状況をコントロールすることはできない。彼は弱い。

3。彼は慈悲を求めに駆けつける。これが彼の唯一の希望だ。彼は主に駆けつけてソロモンが自分に慈悲を施すことを望まなければならない。

まさにこの地点で私たちの話につながる。私たちは皆弱さと不安を感じる。一部は私たちが犯した罪の直接結果である。他人が犯した罪のためにもある。肉体の問題のためにもある。 我々を弱める要因は沢山ある。私たちは何が私たちを弱めるのかよく知っている。

こういう時、私たちはどう反応するのか?

アドニヤはよほど痛ましい姿を見せる。堂々と罰を受けるという姿勢ではない。祭壇にしがみつく。 

色々な状況の中で私の弱点が明らかになり不安が押し寄せる時、私たちはどうするのか? 

そういう時、僕がよくやることがある。私はそれをよく知っている。私は問題解決モードに縮こまるのが好きだ。あまりにも頻繁に心配したりもする。自分自身を哀れに思う時も多い。ある時は人のせいにする。大半は忘れる。

何を忘れる?

1。私は神様の主権を忘れる。神様はすべてを治める主権者であるため、このような状況さえも神様の目を避けることができない。実は、私が感じる不安も神様が私に許したものだ。この真実を知れば、自己憐憫は一挙に消える。 

2。私は神様の善良さを忘れる。私の不満は善に対する私自身の規定が間違っているために生じるものだ。神様が善良ならば、私の人生にある私を苦しめることさえも善良だ。懲戒である時もあり(ヘブライ12)試験である時もあるが(ヤコブ1)、それがどんなことであっても私の有益のためのものであり、聖化の過程であるのだ。

3。神様の福音を忘れる。 私は不満を言いながらうめき声を吐き出す。この時、私の心情を言葉で表現できるならば、それは事実上私に対する神様の誓いと愛に疑いの言葉になるだろう。このように私は自己憐憫と心配と他人のせいで神様を恨んで事実は神様を疑う。ところが、福音のトランペットの音がこのような疑いを吹き飛ばしてしまう。その音を聞いてみろ。

わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緖にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。(ローマ人への手紙8:32)

ちゃんと聞いたか?神様は福音の中でそして福音を通じて神様の民に神様の愛と関心と心を立証された。神様が私たちを愛しているという確認や証拠が必要なのか?ここカルボリ丘の頂上にその愛を宣言する血で塗られた記念碑がある!

アドニヤは安全を求めに神様に駆け込んだ。しかし、今や私たちキリスト教徒が神様の聖殿だ。神様の御霊が信じる人々の中に居られる。したがって、私たちの前にある現実は、すべての聖徒に与えた愛と関心と慈悲と安全とみ恵の現実、完全に新しい現実だ。

神様がキリストの中で私たちに近づいてきたので、逃げて隠れる必要はない。 私たちは施恩座(mercyseat)になってくださったキリストに捕まっている。 私たちはキリストの所有であり、キリストは神の所有である。 [福音祈祷新聞]

“神様が善ければ、神様が私の人生に持ってきて私を苦しめることさえも善い。”

エリック·レイモンド|エリック·レイモンドはボストン都心に位置するRedeemer Fellowship Churchの担任牧師である。

このコラムは改革主義的神学と福音中心的信仰を伝播するために2005年に米国で設立されたTheGospelCoalition(福音連合)のコンテンツで、本紙との協約に従って掲載されています。 www.tgckorea.org

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