道徳的秩序から外れた世間がどれほど恐ろしい犯罪を犯しているだろうか?これを悟るためには神様がこの世を拘束するためにどんな代価を払ったかを知るべきである。
この社会に蔓延っている罪悪が社会倫理と道徳的秩序を強調したら解決できるだろうか?同情心を施したら可能だろうか?いいえ、それは聖なる神様の戒めを憶える時こそ罪から自由になれる。
私達は道徳的善良なことを愛する。しかし、不思議なのは、人は自分の凶悪な罪の爲ではなく、道徳的な善良の為に神様から去っていくのだ。ものすごい罪ではなくて“私のところに来てください”という主の御言葉に反抗する事で多くの罪を犯すことになるのだ。
放漫は自分のやりたい放題にしたいという頑固から始まる。自由は法を守らない能力ではないのを覚えなさい。[福音祈祷新聞]
<弟子道(2012)、オズワルドチャンバス>