秩序整然な世界、神の創造物だから

Date

2019-03-07

▶ 葉の葉緑体は水と二酸化炭素を受け入れて太陽エネルギーのよってブドウ糖と酸素に転換する光合成作用をする。生成されたブドウ糖は植物と実の滋養分になって、酸素は空気に排出される。


創造物語(4)
本紙は創造論の専門家であるアメリカのケント ホヴィンド博士の創造論講義を要約、紹介する。ホヴィンド博士の講義は聖書を中心にして神の創造世界を興味深く説明しながら、進化論が嘘の信仰体系であることを明快に明かしている。<編集者>

もし、ビックバン理論の主張(ビックバンで宇宙が配列されて進化してより良い生物になったという)が事実であるなら、物質は遍く配分されなければならない。しかし、現実はそうではない。これはビックバン理論の深刻な問題点である。このことについて英国の天文学者であるフレードホイルは“私はビックバン理論に病弱な幕が垂れているとためらわずに言える”と主張した。

熱力学第二法則によるとすべては無秩序に向かって行く。どんな物質でもしばらくほっておくと腐ったり、溶けたり、死んだり、粉になる。自然によくなるものはない。聖書はこう教えている。“主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。”(ヘブライ1:10~11)自然に改選できるのは何もない。

人は20歳の時は若くて、肉体も健康である。しかし、90歳になったら腰が曲がって、しわだらけになって、肌も荒れてくる。そして、3000歳になったら埃になる。なんでも管理しない瞬間から古びて、崩れて、擦り切れる。これが熱力学第二法則である。

ところで、教科書では‛人は多分40億年前に住んでいたバクテリアから進化されただろう’と教えている。あなたの‛お祖父さんのお祖父さんのお祖父さんのお祖父さん’はバクテリア?

ある進化論者はこのように主張する。“エネルギーを加えたら熱力学第二法則を克服できる。また、地球は太陽からエネルギーを得る開放系(開かれた体系)だから、地球に住んでいる私たちはその法則を克服できる’しかし、肝心なところをおろそかにしている。

自然に改善できるのはない。
一つ目に、宇宙は閉鎖系(閉ざされた体系)だというのと、二つ目はエネルギーを使用して調整できる特別な体系がない状態でエネルギーを加われば破壊的な結果を生むことになる。皆が知っている通りに、日本がある日真珠湾に多いエネルギ―を加わった。しかしその行動は何の秩序を立てることができなかった。その日から何年後アメリカも日本の都市に却ってもっと大きいエネルギーを加わった。しかし、それも彼らに何の有益も与えなかった。エネルギーを加わるのは破壊という結果をもたらすのだ。光は家の屋根にエネルギーを加わる。そのエネルギーは家を壊す。そして、車の屋根を古くして、車の座席を壊して、車のペイントを剥がしてしまうのだ。

事実上、太陽のエネルギーを使用する方法は一つしかない。ずばり葉緑素である。植物の細胞一つが宇宙船より複雑であるのを知っているのか?このように熱力学第二法則を違反する‛進化’は間違っているのだ。

それから、私が持っているこの教科書にはヒトデの化石を見せながらこのように説明する。‛34億年前の現代人類の早期先祖の残骸’私たちの先祖がヒトデだと言っているのだ。雑誌のディスカバリーの2004年11月版には‛あなたたちの先祖は海のスポンジでした。’だという内容を載せている。また違う教科書には‛3000万年前に猿が進化して現代の類人猿と今の人間になった’と主張している。人間の先祖が猿とは!

私たちは子供たちに人類が動物にすぎないと教えてきて、最近の数多い子供たちは動物のように行動する。アメリカのジャーナリストであるバーバラレノルドもこれを指摘した。“あなたたちの子供が学校で猿みたいに行動していますか?その理由はその子供が進化論を習ったからです。”私たちが子供に教えるのが彼たちの行動に影響を与えると考えたことがあるのか?あなたが信じていることがあなたの行動を決定する。最近の子供たちは‛あなたはただ動物にすぎない’と教わって、子供たちがよく聞くロックは死と破壊と血でいっぱいになっている。聖書は言われる。“わたしを憎む者は死を愛する者。”(箴言8:36)

5分後に銃であなたを撃てる。

そして、子供たちは、今は絶対的なのはないと習っている。昔、ペンシルバニア州のある国立学校で講義をしている時に、ある学生が手を上げて話した。自分は無神論者であって神はいないと‛確信’したと。それで私は質問した。“君、そしたら、君はすべての半分は知っている?や、半分のその半分は知っているの?もし、君がすべての半分を知っていると仮定してみよう。君が知らないその半分の方に神が存在する可能性はない?

そして、また質問した。“君が無神論者なら、君は正しい、正しくないのをどうやって区別するの?”その子は自信満々に自分が決定すると答えた。自分が宇宙の神であると言った。“それを聞いて嬉しい。なぜなら、私は5分後に君を銃で撃つから”その学生がまじめな顔になって叫んだ。“それは駄目でしょう!”“そうしてもよいだろう。私は宇宙の神であって、私は君を撃つと決定したから!”

この論理が私たちをどこに追いやられているのか見える?士師記のように、もし、皆自分の目に正しいとすることを行ったら社会には深刻な問題が発生する。是非をどうやって区別するかって?それは簡単である。“主がこう言われた!”これが絶対的である。

“死者を悼んで身を傷つけたり、入れ墨をしてはならない。”(レビ記19:28)誰かは神が何を話されたかを知らなかったり、また違う誰かは神が何を話されたかに気を配らない。それにもかかわらず、神は確かにやるなっと命じられた。もし、あなたたちが過去にこんなことをしてたら赦しを求めて、二度としてはならない。“主よ、私が愚かでした。お赦しください”<続く>[福音祈祷新聞]

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