神は私たちに良い人になれと言われない。却って、私たちが善良ではないという事実を認めろって言われる。神は私たちが神以外には善がないことを信じるのを望まれている。神の贖いで現れた恵は人の未完成を覆われたことである。人を救うのは彼の信仰のためではない。人の信仰を救いの基とするのは間違った教えである。救いは徹底的に神の御業なのだ。福音は贖いの絶対性を基礎としている。
贖いの偉大さは、人の罪悪ではなくて、自分の権利を主張する罪を扱うことにある。社会の問題児を救うことも貴重なことだが、それがキリスト教が全うベきことの全部ではないのだ。イエスキリストが何の問題もない善良な人々に望まれるのは彼たちが自分の権利を主に譲り渡すことであるのだ。<弟子道(2012)、オズワルド・チャンバス>「福音祈祷新聞」