アチェ州のシンキルでムスリムたちの暴動によって焼けてしまって、教会を警察官が警備している姿。(上, 出所: IBT capture),この教会の聖徒たちが教会のために泣いて祈っている姿(下, 出所: religion news service capture).
インドネシアで起こった宗教戦争
オプンドーアによると10月13日、インドネシアのイチェ地方でキリスト教とムスリムの間に宗教戦争が起こった。これはパプア地方で宗教葛藤が始めてから3カ月過ぎてのことだった。これによって少なくとも一人が命を失って8人が負傷して、イスラムの根本主義者たちによってアチェのシンキル地方の教会らが焼かれた。結果的に数千人のクリスチャンたちが北部のスマトラ地方へ避難させられた。
パクパクダイリ教会のエルデ・ベルト牧師は、‘これから起こる攻撃が怖くて教会の放火があった次の夜8000人のクリスチャンたちが中央タパヌリ地方と西部パクパク地方から逃げました。もう一度教会を建てられて自由に礼拝をささげるようにしないといけないです。’と言った。
イスラムの極端主義者たちは、次のようなテロメッセージを持続的に伝えている。‘私たちはクリスチャンたちを攻撃して教会を焼くことを止まない。クリスチャンはアラの敵である。’彼らのメッセージは、8000人のクリスチャンたちが自分たちの家を離れて北のスマトラ地方へ避難するようにしたのである。
教会に向けてのテロメッセージ
ウルデ牧師はまた‘追放されたクリスチャンたちはとても貧しい状況であって、特にきれいな水と食べもの、服、ミルク、布団、医薬品などとても必要です。難民村に入って出るために他の地域から来た奉仕者たちは、ジャングルと険しい道を通過しないといけないです。主要道路はイスラムの極端主義者たちがクリスチャンたちを殺すためにすでに占領していて、とても危険だからです。’と説明した。
アチェ地方はシャリア法を守っている。特にクリスチャンたちを含めた非ムスリムたちにはとても敵対的な地方の一つである。30年間ここで起こった分離主義運動を名目にした流血事態は、政府がこの地域の自治とシャリア法執行を許してから2005年になって終わったのである。
特にアチェのシンキル地方のムスリムとクリスチャンたちは1979年と2001年に条約を結んでいたが、それは一個の教会と4個の小さな礼拝棟を立てるのを許すとの内容だった。しかし時間が立つにつれて、24か所に教会が増えたのである。
教会の復興を許さない法令
一方許可をもらってない教会を破壊してもいいという同意案が今月に可決した。これは宗教の建物は許可をうけるために、厳重な資格要件を出さないといけない法令が2006年に作られたが、その法令が実際に措置されたのである。
オプンドーア関係者は‘それにすべての条件が満たされても多くの教会に対して許可を出してくれません。’と伝えた。
また2013年基準国家人権委員会の調査によると80%のモスクを含んだインドネシアの礼拝棟がこのような資格条件を満たしていないまま運営されていた。教会とは違って登録されないモスクたちはあんまり論争にならないのである。
[GNPNEWS]