ミッションママを通して‘家族’から‘共同体’になりました。

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福音による幸せな家庭のガン・ソングク、ガン・ウンジン聖徒

-どのようにして二人の子供にホームスクールを始めましたか。

ジンさん(奥さん);2008年に福音に出会って新しい信仰の人生を決断して、本当の福音の証人として生きたかったです。特別に次世代に福音が伝えられたらいいなと願って、まず自分が神様からいただいた子供たちに証人になろうと思いました。祈る中、‘子供たちの教育領域で真理が結論になるのは何だろうか。’と思い、主の導きによってホームスクールを始めました。2010年の冬休みころでした。

-ご主人の反対はなかったですか。

ジンさん;夫はいま中学校で社会を教えています。それで始めは大きく反対するだろうと思いました。しかし夫の心配は他より私が続けるかどうかでした。子供の未来がかかっているので、諦められないからです。その時私は子供たちに何かを挑戦する人生を教えることが目標でした。転んだときにどのように起き上るのか、失敗したときにどのように走り続けるのか、それを共に経験しながら進めることが子供たちには一番の教育だと言いました。それで夫は私の意見に同意しました。

-ホームスクールを始めて大変なことはなかったですか。

ジンさん;始めは私を変えた福音に対して教えたい気持ちが先でした。‘あなたの心の態度は何か、主のものなのか、サタンのものなのか’と教えるばかりの立場でした。しかし私が子供たちに行った教育が自分に戻って来ました(笑)。私には本当に恵みの時間でした。わたしの子供たちだけではなく、全ての次世代までも主はみこころをゆだねてくださいました。

-ホームスクールを選択したことにたいして後悔したことはありますか。

ジンさん;私は子供の時学校生活が楽ではなかったです。また教会と学校で教えていることが違っていて混乱していました。いま私は教会学校で小学校の5,6年生を担当していますが、この年になると髪型が変わって目つきも変わります。以前の純粋な子供の姿はなくなります。そんな子供たちが中学生、高校生になると親に反抗してメディアとゲイムにのめり込みます。周囲の人たちとの関係が断たれて心理治療をうけたり、カウンセリングをしたりする子供たちを近くで多く見ています。

失敗通して起き上る方法、良い養育になる。

ホームスクールが難しくないのかと周囲から聞かれますが、実は子供たちとの通じ合わないことが一番むずかしいです。関係はよくない時期に福音を伝えたり、真理を話ししたりするのは遅すぎると思いました。

-中学校の先生として教育現場にいていまの学校とホームスクールとの違いは何だと思いますが

ガンさん(夫);私はいま男子中学校で学生部長を4年間担当しています。このころの子供たちは本当にミディアに漏出されています。特に淫乱と刺激の多いものにおぼれています。子供たちによいものは退屈で古臭く思われています。先生たちがこんな状況を知っていても、学生人権が強調されていて何もできない雰囲気です。それなので子供たちが勉強をする理由や、人生をどのように生きるべきかを考える余地がないです。また先生たちも子供たちを教えることを一つの職として思う人たちも少なくありません。それで私も始めては‘ホームスクールが可能なのか’と悩みましたが、結局‘親より良い教師はいない’と結論出しました。

-ホームスクールはどのようにしていますか。

ジンさん;始めは‘宣教ホームスクール’と名付けました。もっとよい教育をしたくなるときにこの名前がホームスクールの方向を主へと向けてくれています。キリスト教学校であるヘブロン原型学校へ子供たちを送る前までホームスクールをする時までは賞状を作って、近隣の友たちを招待して一年に一回ずつ学芸会も開くなど楽しく進めました。

ガンさん;数多い知識とか機能を開発するよりも、主の前に正しく立つことが大事だと思いました。学校で習った知識でこの世を生きるのではないからです。4年生になってヘブロン原型学校に行く前までは対した勉強はしていません。毎日御言葉を黙想して簡単な英語、算数、読み書きなどをして、思う存分遊んで、親と話ししながら時間を過ごすことで十分でした。そして関係は二人だけでは作れなくて、100人会って作れることではないです。深く交わって正しい関係を保つことが大事だと思います。学校行って600人、700人いるから関係ができるとは思えないからです。

-ヘブロン原型学校はどのようにして行かすようになりましたか。

ジンさん;小学生を対象にしている‘王のお友たち学校’と‘光の実の学校’があると聞きました。私は子供たちをよく育てて福音の前に立たせる訓練過程に送りたかったです。ホームスクールもその気持ちで始めました。しかしそんな学校があると言う話は私には‘福音’そのものでした。主があたしたちのうめきを聞いてくださったんですね(笑)。しかし子供たちが訓練を受ける姿を見て共に福音で生きるためには私も訓練を受けるべきだと思いました。それで‘福音宣教官学校’で訓練をうけて大きな恵みをいただきました。

-子供たち以外に次世代を抱いて主からの恵みをあると聞きましたが。。

ジンさん;私たちの人生が平凡ではないですね。それで他の方たちがいろいろと聞いてきます。その時に福音を分かち合っています。その時一人一人が福音によって回復していく姿を見るようになりました。ある聖徒が大変な時期を過ごしながら、私と交わるようになって福音を分かち合って福音学校を勧めました。そうしたらすぐ行きたいといって、その方の子供たちの面倒をみるようになりました。その聖徒を通してまた違う人が主を信じ、いまはその方たちと交わっています。

子供たちがこの世の知識よりも主の前に立つことを願う

▶ 휴양지에서 세 가정이 함께 말씀기도를 하는 모습.
休養地で三つの家庭が共に御言葉を読み、祈る姿

ガンさん;今年の6月にその聖徒たちと私たちの家族みんな2泊3日でキャンプに行きました。主の恵みによってその時間が修練会になってしまいました。朝には共に黙想して私が聖書を教えて、ヘブロン原型学校に通っている子供たちが一日一日御言葉を黙想して祈る祈祷会を、また夜には福音で交わる時間をもつ素晴らしい日々でした。

ジンさん;その場である方が自分の証を分かち合って、続いて私も自分の福音を述べました。しかしその話を聞いていた子供たちの中で信仰生活をしていなかった子供が本人も福音を知りたいと告白しました。それでその子は福音キャンプに参加しました。そしていまは宣教師になるといい、世界のために祈るネヘミヤ52祈祷会に参加しました。その子は以前頻繁に家出をして学校も行かない子でした。その子の変化にお父さんがびっくりしました。

従順は遅れるほど損

-宣教師の子供を養育しているミッションママとして仕えていると聞きましたが。。

ガンさん;ミッションママをすると言った時に、他の人と共に生活することが大変だろうと思っていました。高校生であるユン・サムエルは両親がアフリカの宣教師として行って、一人で韓国の教育をうけていました。しかし私の子供たちと一緒に住むようになって、これは犠牲ではなくすべてを得ることだと気付きました。私たちだけの時には家族でしたが、いまは‘共同体’としてお互いによい影響を受けている祝福の関係です。私たちの家族のための主のプレゼントだと気付きました。

ジンさん;始めてヨセップのミニストリという宣教団体から言われた時には部屋も狭いし、あっちこっち不可能な状況だけが見えました。可能な条件を見るのではなく、私たちの心と従順だけが必要でした。

-福音の能力は本当に驚きです。これからどんな信仰の歩みをいきたいですか。

ガンさん;私はいま韓国教育者宣教会で6年間学校の福音化のために祈って仕えています。しかし今年主の御恵みによって十字架の福音に立って、罪人である自分の実状に気付いてすべてのこの世の価値を捨てるようになりました。7年間の教育学博士過程から下しました。それは自我を追及しようと進めたものでした。今度は福音宣教官学校へ信仰の歩みを歩きだします。

ジンさん;私も仲介祈祷学校を始めていて、主が私たちの家庭をどのように導いてくださるか知りませんが、今まで導いてくださったように続けて一歩ずつ従順していこうと思っています。主だけを期待しています。[GNPNEWS]

J.D.

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