苦難の意味が含まれたユアンゲリオン(εὐαγγέλιον,福音)

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神様は創造の前に夢見ていた原型の回復のために私たちに福音を下さった。神様の望みの通り、福音が私たちの存在にぶつかるとその結果がかならず現される。福音に会ったのに‘そして何もなかった’のような言葉は論理的に不可能である。福音が私の中で実在になるならば、かならず変わるしかない。貴方は変わったのか。

福音に対しての誤解をなくさないと

私たちが共に生活してみると、いろんな誤解が生じる。こんな誤解はお互いがよくわかってないから生じて、お互いがよくわかっていても生じる。こんな誤解はすこし気持ち的にキズになっても時間が過ぎれば解けてその真偽がかならず現される。しかし福音に対しての誤解を持ったまま、信仰生活をすることはとんでもないことである。

ベショラ

福音はヘブリ語で(ベショラ)。ヘラ語で‘εὐαγγέλιον’(ユアンゲリオン)。英語では‘うれしいお知らせ’ (the gospel)である。新約聖書が記録したヘラ語‘ユアンゲリオン’ (εὐαγγέλιον)には‘うれしいお知らせがもたらす補償(reward)’の意味もあるが、‘苦難’の意味が含まれている。私たちの人生とか小さな存在にも喜びの裏にはいつも苦難が同伴する。ヨブ記はそんな私たちの人生をよく表現している。

ヨブの告白を聞いてみよう。‘しかし私が行く道を彼が知っておられるので、かれが私を鍛錬した後には私が純金のようになろう(ヨブ記23:10)’、ここで‘鍛錬する’という言葉はヘブリ語で‘バカン’であるが、‘苦難中での試験’ (examine, prove, test)を言う。

バカン

原語に表されている福音の性質

出エジプト記28:17-20をみると宝石の名がでる。その中で‘紅玉髄’という宝石は人が喜ぶダイアモンドである。ヘブリ語では‘ヤハロム’で発音するこの単語には、福音という意味が全然含まれていない。

ヤハロムは‘ハンマーで打ち下ろす’とい意味である。宝石はただで作られる物ではない。純度99.99%の純金になるためには、金を精製する溶鉱炉で24回入れないといけない。

ヤハロム

それでこのように作られた純金は火を怖がらない。そのように福音が何であるか正しく知っている主の本当の子供は決して苦難を恐れない。

御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難(συμπάσχω)をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。わたしは思う。今のこの時の苦しみ(πάθημα)は、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。(ローマ書8:16-18)

それで福音は性質上歓迎されない。福音がうれしいお知らせなので、皆が好んで福音の前へ進んでくると思いがちだが、それはそうでない。胎生的に自己自我に慣れ親しんでいる人間は‘苦難’という性質を持っているこの福音を嫌がるのである。私たちが御言葉の前に立つときとか、福音が私たちの人生に深く入り込むと自我が本性を現れて福音の前であがき続ける。

それで福音をよく理解している使徒バウルはこのように叫んでいた。‘そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである(ローマ書1:14)’他ではなく‘福音’だけが私たちを原型に回復させることができるからである。[GNPNEWS]

金ミョンホ教授(福音祈祷神学研究所)

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