パキスタン / ナディア・ナイラマシ Nadia Naira Masih
わたしたちのお仕えする神は… わたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。
そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」(ダニエル書3:17,18)
15歳のナディア・ナイラマシは信仰深いクリスチャン少女だ。家で過ごす時にもナディアの日常は朝早く起きて祈りをした後、御言葉を黙想することから始まる。
しかし、ナディアの両親は2001年2月以降から娘を見ることは出来なかった。両親は娘が拉致犯の家でも、この習慣で日常をはじめていると信じている。ナディアはマクスト・アホメドというムスリムに拉致された。
2001年2月のある日、日頃ナディアの家族と付き合いのあるマクストの母が娘を家の外に誘引した。目撃者の話によると、友達と二人の妹と共にマスクトがナディアを車に強制的に載せてどこかへ去った。彼らは自動小銃で武装していたという。
パキスタンで幼い女の子が拉致されることは珍しいことではない。しかし、キリスト教徒たちを対象とした犯罪が発生した時、パキスタンの警察がとぼけることはよくあること。特に、賄賂をもらった時には言うまでもない。拉致事件発生後、数日立った後、ナディアの家に証明書一通が届いた。
ナディアがマスクトと婚約したことを証明する書類と、ナディアはムスリムと結婚したため、公式的にイスラム信者になったという証明だった。ナディアはまだ15歳。ナディアの両親は言えないほどの憤りと喪失感を感じているが、マスクトを悲惨する言葉は口にしなかった。
その代わりに彼らは、全能なる神様が娘を再び家に連れてくるのに必要なすべてのことをなさるお方であることを固く信じていた。‘信頼’ということは、誰かを‘全て’信頼する時やがて‘全て’を悟ることが出来る何かだ。
ナディアの両親は神様がナディアをいつかは必ず家に返してくださることを信頼していることではない。代わりに神様はナディアを安全に連れて来てくださる力あるお方であることを固く確信していた。その差はとても大きい。もし、彼らが神様は特定な結果を成してくださることを信頼し、得られた結果を得なかった時には、その信頼は揺るぐことに違わない。
しかし、彼らは神様の特定な結果を成してくださることを信頼する代わりに、特定な結果を起こすことができる神様の能力と力を信頼することにした。彼らは、神様の驚くばかりの力と知恵でナディアを家に返してくださることを定めていないとしても、神様を信頼し続ける。
神様に対するあなたの信頼はどうか?