青年の時には、それが正しいと思えました。それが正しいものでした。
実際には、それが正しいというよりも、それをやりたかったのです。だからこそ、あなたは自分の思うがままに行動しました。しかし、後悔するまでにそれほど時間がかからなかったことがいくつかあるかもしれません。一度きりの人生を「一生」と呼ぶのも、練習することができないからです。経験から得た知恵で人生を導いてくれるのが、両親であり、師です。
でも、お母さんのスカートにしがみついていたあなたも、独立を願う思春期を経て、自分の人生の王として堂々と歩んできました。そしてその後も、望むままに生きてきたのです。ですから、望んだとおりになりましたか?思うがままにしたから後悔はありませんか?
振り返ってみると、思う通りにできなかったことよりも、思いのままにしたから後悔していることのほうが多いかもしれません。もし戻れるなら、戻したいこと、きれいに消し去りたいこともあるでしょう。しかし、後悔しようがしまいが、結局、人生の後半戦でその過ちに対する代償を払うのが人生です。そしてあなたの人生で解決できない深刻な問題が残っていることに気づいていますか?
罪があり、その罪によって必ず永遠の地獄の刑罰があるのです。「死んだら終わりだ」と思っていたかもしれませんが、死んでも終わりではありません。神様は「一度死ぬことは人間に定められている」と言い、死んだ後には必ず審判があるとおっしゃいました。
人生の過ちの中で最も大きな過ちは、あなたの罪を赦すために死んでくださったイエス様を信じなかったことです。この過ちに対する後悔が死んだ後にやってくると、もう遅いのです。なぜなら、その後悔は地獄での後悔だからです。
人生の最後の日が来る前に解決しなければなりません。あなたのために命さえ捨てられたイエス様を今、心の扉を開いてお迎えすれば、これからイエス様があなたを後悔のない人生へと導いてくださるでしょう。
[福音祈祷新聞]
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