神の約束と誓い (5)
この言葉に注目しよう。
「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探すが、我々は十字架につけられたキリストを宣べ伝える。それはユダヤ人にはつまずきであり、異邦人には愚かに見えるが、召された者たちには、ユダヤ人にもギリシャ人にも、キリストは神の力であり、神の知恵である。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いのである。」(コリント人への第一の手紙 1:22-25)
その神の力と知恵がどのように現れたのか。それは、人々が軽蔑するイエス・キリストと彼の十字架の福音によるものである。この十字架の福音こそが神の力であり、神の知恵である。最も希望のない人生が丸ごと変わり、変わった彼らを通して世界が変わること。このことが神の完全な知恵と力である十字架と復活の福音によって可能になるのである。
これは誰にでもわかる秘密ではない。十字架の福音は、伝統に慣れ親しんだユダヤ人には愚かに見え、世のことに精通した異邦人には無駄に見える。このように十字架の福音がどれほどみすぼらしく無知に見えたとしても、それを信じると言う教会でさえこれを無視している。しかし、使徒の中の使徒であり、優れた神学者であり、神の前に力強く用いられた使徒パウロは言う。
「しかし、私には私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇るものはない。キリストによって世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのである。」(ガラテヤ人への手紙 6:14)
教会の中には、華やかな神学知識や体験、力、組織など多くの必要があるが、なぜ主は愚かに見える十字架を福音の中心に置かれたのか。なぜこの無駄に見える十字架が神の知恵と力だと言われたのか。それは神が歴史を変えようとするとき、結局は人を変えなければならず、人を変えようとするとその人の中心である心を変えなければならないからである。罪によって汚染された人間が本質的に神に反逆する心から本来の神の形に戻ることは天地開闢よりも難しいことである。唯一、神の知恵とその力である十字架の福音によってそのことが可能になる。
救いと生まれ変わり。主は言われた。『多くの訓練と努力をしても生まれ変わらなければ神の国を見ることはできない。』生まれ変わらずに人間が存在的に変わることは不可能である。
人間は努力によって少しは改善されることがある。酒やタバコを楽しんでいた人が突然やめたり、悪口を言っていた人が優しく話したり、詐欺で他人を困らせていた人が慈善事業をすることもある。しかし、その人が罪人であるという点では一歩も逃れることはできない。
神の国は改良された罪人が行ける場所ではなく、生まれ変わった生命でなければ入ることはできない。再び生まれなければならないと言うほど、生命の存在そのものが変わらなければその場所に行くことはできない。どうやって何によって生まれ変わるのか。我々を生まれ変わらせる唯一の道はイエス・キリストの十字架にある。(2018年9月)<続く> [福音祈祷新聞]
キム・ヨンウィ(巡回宣教師、LOGミッション代表)
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