“天のお声かけに立ちあがった世の番人たちのお話し”

Date

2013-12-16

一人の従順で始まった祈り24、365.この10年間92カ国1万4000人の祈る人、ひとりひとりを立たせてくださったのは神様でした。毎瞬間自分を否認して、神様が生きるこの祈祷の場に恵みで捕まえられた祈りの人たちのお話を聞いてみました。

 ‘だれも見ないその場で神様との約束を思い出しながら’  

○…アメリカのワシントンで共働きをしていたイーピョンウ祈祷者(122チーム。17-18時 現地時間00-02時)。2008年8月彼は奥さんと共にオンライン祈祷オリエンテイションを通して世の番人として任命された。それから3年後、祈祷時間変更に関しての1通のメールを祈祷本部へ送った。

 ‘仕事の時間が変更になり、既存の祈祷時間を守るのが難しくなりました。私たち夫婦共に祈祷時間を変更してほしいです。イーピョンウ、パクージヨン’

本部との訪問電話を通してわかった事実は、彼は3年間助け人のアラームも、だれの関心もないまま、神様と約束したその1時間を奥さんと共に誠実に守ってきたことだった。ホームページを見て、韓国時間で記録した祈祷時間を守るため、アメリカのサマータイムの期間でも自ら祈祷時間を調節してきたのだ。そして夫婦が働く時間が変わって祈祷時間変更を要請したのだ。

だれもみてないその場で、神様との約束をそんなにも誠実に守るようにしてくださったのは神様でした。彼は現在他の新規祈祷者たちのために、仲介祈祷とアラームで助ける人として献身している。仕事で忙しい生活でいまも祈祷時間を守るのはたやすいことではない戦いであるが、神様を愛するのでただ従順して立っているのだ。

 ‘露店商人で働きながら、祈祷時間になると一番近い教会へ’

○…露店商人として働く59歳の金ジョンスン祈祷者(190チーム。21-22時)はオンライン教育を受けて、2010年11月から祈祷を始めた。車を利用して台所用品を露店で売る仕事をしている彼女は、その人生が辛くて24,365祈祷をしばらくやめて、この人生から抜け出せるようにと期限祈祷をしていたと言った。その中、祈祷者の再献身学校である助け人のための学校へ参加するようになった。

いまもまだつらい日常からは逃れないが、電話訪問をすると子供のようにみ言葉を聞き、従順する場に立てくれている。つらい人生から抜け出すようにと始めた期限祈祷をやめて、彼女の祈祷時間である夜9時、露店があるところから一番近い教会へ行って、24,365祈祷時間を守っている。祈祷時間を本当に守りたいと本部に電話をして、仲介祈祷とアラームで助ける羊(新規祈祷者)を紹介してくれるよう、続けて要請した。2012年現在も3人の新規祈祷者に自ら進んで仕えている。

‘だれかがくれた世界祈祷情報で始まった祈祷’

○…2年前誰かが自分にくれた世界祈祷情報用の本を受け取った英国のジャンーミスク祈祷者(22チーム。17-18時 現地時間09-10時)。祈祷24,365ホームページをみて、一人で2年間祈ってきたジャンーミスク祈祷者が、祈祷24,365連合祈祷チェーンに正式に参加するようになった。

 ‘私は2年間一人で24,365をクリックして祈祷情報をみて、ノートにみ言葉と祈祷内容を書いた後、ずっとお祈りしてきました。最近では祈祷中、異言の恵みをいただいて神様に感謝して、仲介祈祷者として立たせてくださった神様に出会うようになりました。多くの人たちが世のために祈り、献身する姿が美しいです。少々負担はありますが、一度やってみる予定です。

神様が私の時間を導いてくださると信じます。この2年間、ここのprayer24365に入ってきて祈祷題目をノートに書いてみ言葉も書き、お祈りしてきましたが、神様が訓練するようです。み言葉と祈祷はまだどのようにするかは分かりませんが、やってみます。私が捧げる祈祷を喜んでくださることを感謝して。。’

‘死の前でも諦めないお祈り’

○…新規祈祷者になると6カ月は訓練をうけた祈祷者で、助け人の仲介祈祷とアラームをうける。祈祷を始めて4カ月目、これから助け人にアラームをする祈祷訓練の時期になったが、助け人から申告電話が来た。助け人の祈祷者がアラームする祈祷訓練が出来なくて、祈祷時間変更を要請したという話に本部は電話訪問をした。

ゴンージョンワン祈祷者(321チーム。05-06時)は乳房ガンから始まって、ガンがもうすでに肝臓と骨まで転移した状態だった。2人の子供を持った中年の祈祷者は、抗がん治療時間が祈祷時間になって、お祈りが出来ないが、とてもお祈りがしたくて祈祷時間変更を要請したのだ。死の前でも決して諦められない祈祷!神様に出会う準備をする彼女には子供の問題、病気の苦しみ、そのどのものよりも神様のみ心が臨む祈祷24,365、これがとても実在だった!

彼女と相談して本部の人が、ある日特に彼女が思い出して訪問しようとしたその朝、礼拝時間中に彼女の死のお知らせをいただいた。2011年7月22日、抗がん闘病中でも最後まで祈ろうとした神様の娘、ゴンージョンワン祈祷者が神様のみ胸に抱かれた。次は2011年3月、彼女が初めて祈祷24,365に加入した後の感想文である。

 ‘天にいらっしゃる尊い神様が私に会いに来ました。死から私を生かしてくださった神様。すべての世の中で、神様のみ心が導かれますように祈ります。私の全存在を捧げても足りない神様のお声かけに、全て私を委ねます。主が来るその日まで。。。’

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