愛のイエス様は私の心の深いところに刻まれています!

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ローマ / イグナティオス gInatius

 “キリストが人間のうちにおられなければ、人間の人生は死の連続でしかなりません”

イグナティオスは、使徒ヨハネの弟子であった。彼は、トラヤン皇帝の偶像崇拝を公開的に非難した。するとトラヤン皇帝は、あえてローマの皇帝を非難したイグナティオスに復讐することを公開的に誓った。

 結局、イグナティオスは逮捕されてローマに押送された。彼は飢えた獅子たちがうようよしている獅子の洞穴に引っ張られながら、他の信徒にこう言った。“我が救い主、愛のイエス様は私の心の深いところに刻まれています。

だから私は、彼らが私の心臓をえぐり出してバラバラに切るとしても、そのそれぞれのものからはイエス様の御名を発見すると確認します。”

 トラヤン皇帝は数多くのローマ市民を動員してイグナティオスの死を見物させた時、イグナティオスは歓呼の声を上げている群衆に向かって大胆にこう言った。“私は神様の穀物です。私は今、野獣の歯によって砕かれています。だから私は直ちにキリストの純血なパンになるでしょう。神様は私の命のパンなのです!”

彼がこのように話すやいなや飢えた獅子2匹が駆け寄ってがつがつと彼の肉を噛り始めた。彼は‘テオフィロス’(theophorus、神に愛されし者)という姓にぴったり合う人生を生きた。最後の瞬間までも神様と救世主の御名を口にしたからだ。

彼は“十字架につけられたイエス様だけが私の唯一な愛であり、すべての愛だ!”としばしば言っていた。彼は次のような単純な真理で最後まで慰められた。

“世の中がクリスチャンを憎むほど、神様はクリスチャンを愛しておられる。”

西洋では一人の女性がある男性の妻になる時、夫と一つになったという象徴として、夫の姓を一緒に使用する。彼らはもはや二つではなく一つである。そのように夫婦が老いれば二人は性を共有すること以上で多いことを共有する。彼らは同じ友達と関心事を共に共有し、一人の言葉を他の人が代わりにする。

さらにある夫婦は、お互い外見が似ていたりもする。長い間親密な関係を持続したからである。同様にクリスチャンあるいは ‘小さいキリスト’という名を持った私たちも夫婦のようにキリストと親しい関係を持ちながら一つにならなければならない。

あなたはクリスチャンとして、この世の人々があなたを呼ぶ呼び名に‘キリスト’という名前を持ち歩いているか?‘キリスト’という名だけイエス様と共有し、その方の苦難と働きと人生は共有していないのではないか?

 (出典:主のために生きる(2010)、キュジャン刊)

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